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2010年9月

グアテマラ戦に続き、ザック・ジャパンが本格的スタート

2010/09/17(金)

日本代表が最後に大阪に訪れたときとの違いは、とにかくピッチ外では一目瞭然だった。4月、惨敗に終わった例のセルビでは、多くの観客が君が代の直前に静かに入場した一方、今回はキックオフ1時間半も前の6時15分(普段は日本人の大好きな残業がまだまだ始まったばかりの時間)から長居駅や乗り換えの天王寺駅のホームが既にハイテンションのサッカーファンで鮨詰状態だった。春にはブーイングと怒鳴り声の合間に手元のビールを悲しげに見つめる雰囲気だったが、それに対して先日はキリンの売り子が意気揚々としてパーティーの盛り上げ役に復帰していた。サポーターは再び誇りを持って乾杯して(残念ながら紙コップなのでチャリンと気持ち良い音が鳴らないが)、ピッチ上のパスミスや失点まで大目で見た。

 

それはそれで良かった。他の状況下では、FIFAランキング119位(フェロー諸島よりも1ランク下)、北中米カリブ海の中でも昨年のCONCACAFゴールドカップに出場権すら得られなかったグアテマラ代表を相手に、ホームで辛うじて1点差で勝つというのは何とも心配な結果と捉えられる。日本はスタートがほぼ完璧で、全体的に自信満々のプレーを見せて森本貴幸がうまく2点を決めたが、その直後にマリオ・ロドリゲスにゴールを許すと、残りは非常に内容に乏しい1時間となってしまった。

 

それでももちろん、誰も怒る人はいなかった。1月というタイミングで行われるAFCアジアカップ2011や、それまでのアルゼンチン韓国との強化試合のほうが大切なチャレンジとなるだろうし、特にサポーターや一般市民にとっては、南アフリカの大喜びがまだ記憶に新しい。さらに、新監督が決まらないうちに頼まれた原博実代行監督がベンチから指示を出しながら、ついに新監督に任命したアルベルト・ザッケローニ氏がスタンドから観ているという中で、選手達が少し中途半端な気持ちになってしまったとしてもおかしくないだろう。

 

最終的に予期せぬ成功を見つけた岡田武史元監督の後任者として、ザッケローニ氏が選ばれたことも興味深い。海外開催W杯でベスト16まで進出できたというのは恐らく、日本サッカー史上最大の成功だったと言って良いだろうが、この経験を活かして、次の時代にどのような方向性で進むべきかという転機を迎えた日本サッカー協会には、選択肢が2つあった。1つ目は許丁茂(ホ・ジョンム)監督時代の韓国代表と同じようなアプローチであり、日本人の監督(例えば、西野朗)のもとで日本サッカーを全面的、且つ有機的に発展させていくこと。或いは2つ目は、再び何らかのプラスアルファを持っている外国人監督を起用し、代表のレベルアップを図ること。イタリア出身のザッケローニ監督がとにかく、日本代表歴代監督の中で最も輝かしい職歴を誇っているのは、紛れもない事実である。

 

しかし、ザッケローニ監督の主な業績(1998年にウディネーゼをセリエAで3位に導き、翌1999年にACミランでスクデットを獲得)は残念ながら当時の特徴的な3-4-3システムとともに、もう歴史の彼方に消えつつある。インテル時代、2003/04シーズン終了後に解任されて以来、監督の仕事がこれまで6年間で合わせて10ヶ月しか見つからなかった。2年のブランクの後、2006/07シーズンの直前にトリノの監督に急遽就任するも途中解任され、そしてさらに3年のブランクを経て今年の1月、チーロ・フェラーラの指揮下でセリエA6位に低迷していたユヴェントスの監督に就任した。しかしながらリーグ戦は結局7位に終了し、ヨーロッパリーグではフラムに1対4の大敗で惨めな敗退を喫してしまった。そういった中、契約更新ももちろん可能性ゼロだった。

 

戦術面においては、ザッケローニ監督はユヴェントス就任後、3バックを早くも2試合で諦め4-3-3の一種を使用するようになったが、グアテマラ戦のシステムなどに彼の影響も大きかったという報道もあり、今後は岡田前監督がW杯直前まで起用した4-2-3-1と似たようなスタイルでやっていくようである。私はこのコラムでは、セルビア戦のときから4-1-2-2-1変化を主張したが、今は主に2つの理由から、4-2-3-1に戻れば良いと思われる。まず、とにかく2013年の夏までは「世界の舞台」ではなく「アジア」が中心になるからである。つまり、W杯と比べれば日本が支配しても当たり前の試合が増えるため、遠藤保仁長谷部誠のようなダブルボランチが守備をカバーし切れなくてもそれほど大した問題ではないかもしれないし、むしろ攻撃に加われば効果的とも言える。そして2つ目は、森本や香川真司細貝萌といった若手選手を少しずつ活かしながら、チームを育てる時間と機会がたっぷりあるからである。うまくいけば、2014年のW杯では相手を問わず、2010年代の流行システムで自然且つ積極的にプレーできる日本代表を期待できるだろう。

 

このような成長の実現は最終的に、ザッケローニ監督がその理想的な戦い方を把握した上で選手たちに伝えられるかどうかにかかっている。もちろん、自分なら選ばなかったという人もいるだろうが、代表チームの監督は総理大臣や大統領と同じように、取りあえず当面は国民を挙げて応援するほうが、皆のためになる。

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W杯招致:イングランドの立場から

2010/09/03(金)

先日の朝、携帯電話のアラームに続いて私の目を覚ましてくれたのは、「イングランドの2018年W杯開催候補は負けられない」というBBCの見出しだった。確かに、このドキドキする言葉を口にしたのはイングランド側ではなく、FIFA視察団の有力者だったら理想的だったが、とにかく視察団を首相官邸で迎えたニック・クレッグ副首相(失言癖のあるデーヴィッド・キャメロン首相はタイミング良く育児休暇で不在だった)がこのように自信を持ってアピールしても不思議はないだろう。クレッグ副首相が言う通り、「国民は大いに興奮し、イングランドのW杯開催候補を熱烈に応援している」他、FIFAのゼップ・ブラッター会長も表面的に褒めて頂いているようである。ブラッター会長曰く、「W杯を開催する一番簡単な方法はイングランドに行くことだ。イングランドにはファンも、スタジアムも、設備もすべてが揃っている」。

 

日本ではもちろん、総理大臣が音楽ヒットチャートの1位と同じように入れ替わる(つまり、ついていけるのは学生と同業関係者ぐらいしかいない)ので、イギリスのように国際スポーツ大会の開催権が決まっても政治的な意味もあるわけではないだろう。皮肉にも、この傾向はサッカー界にも及び始めているかのように、日本の2022年W杯招致視察が終わって数日後、意見を二分する犬飼基昭氏がJFA会長を退任した。それでも、この国もまだまだ笑顔である。「サッカーの母国」と事有る毎に掲げるイングランドと比べて歴史は浅いものの、明日からでもすぐにW杯を開催できるくらい、インフラやスタジアム、そしていざというときの組織力がすべて備わっていることは、周知である。さらに、最先端テクノロジーや様々な環境保護の取り組みによって、日本だからこそ提供できる「次世代ワードカップ」も必ず大きなアピールとなるだろう。

 

また、2022年W杯が日本の単独開催に決定すれば、関東との対立で日本サッカーの歴史が始まったという関西地方にとっても、大きな効果をもたらす。招致条件として開幕戦と決勝戦を開催するスタジアムには8万人収容可能な観客席の設置が求められているが、日本招致委員会は横浜国際総合競技場など首都圏の既存施設を増築するのではなく、大阪市の中心部で「大阪エコ・スタジアム」(仮称)という超現代的なスタジアムを新たに建設する予定を発表している。そのきっかけとして、都市再生緊急整備地域に指定されている梅田貨物駅(通称梅田北ヤード、1928年に開業)がようやく移転し再開発されることになっている。因みに、この敷地は我がマンションから徒歩10分くらいのところにあり、ベランダからも見えるということから、「泊めて欲しいんで後12年は絶対に引っ越さないでよ」という連絡が家族や友人、そしてツイッターでしか会ったことのない方からもしばしば寄せられている。

 

しかしながら、日本の開催地としての適格性を保証する、最も大きな要素は、最初から今でもFIFA理事会が日本を一蹴すべき理由でもある。約20年前、JFAが日本初のプロサッカーリーグとなるJリーグを設立して2002年W杯開催の立候補を発表した頃、これは「新市場も開拓してW杯を全世界のものにする」というFIFAの当時のビジョンにバッチリ合致していた。しかし、2度目の開催は日本サッカーの輝かしい発展をさらに促進し、経済(特に、大阪エコ・スタジアムやその技術の契約を獲得する企業)を刺激する効果が期待できるとはいえ、世の中に日本よりW杯開催の順番が待ち遠しい国やファンが山ほどあるわけである。イングランドの2006年大会の招致は失敗だらけに終わってしまったが、早くも1974年W杯も開催したドイツに再び決まったことを嘆く人が少なくなかった。今回は日本(若しくは韓国)がわずか20年で2度も開催するというかつてない機会を与えられれば、嫌な波紋はイングランドに止まらず世界中に広がるだろう。

 

犬飼元会長の後を受けた、FIFA理事でもある小倉純二氏は公にはもちろんアピールするしかないが、心の底では同じ壁を痛感していてもおかしくない。と言いながら、小倉会長自身はとにかく、完全に「Win-Win」な状況にある。もし日本に決まれば小倉会長の成功になる一方、うまくいかない場合でも、前任者が自分のレガシーを考えて動くのが早過ぎたと言い捨てても良い。

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