Football Japanが2008年の春に開設された目的のひとつは、日本サッカーアーカイブへの誘導機能である。JFAにも認められたアーカイブにおいて、私は伝説的なスポーツライターである賀川浩さんをサポートするという光栄に浴することになった。まだまだその作業は途上にあるが、アーカイブでは年表で1912年以来のこの国における世界的なスポーツの発展を海外での出来事とともに掲載し、また日本サッカー殿堂入りするにふさわしい貢献と業績を残した功労者たちを紹介している。
今週の火曜日、日本サッカー協会はその賀川浩自身が、60年間におよぶ最も尊敬される日本サッカー記者としての功績を認められ、第7回の掲額者に選ばれたことを発表した。
1924年に兵庫県で生まれ、高校、大学でプレーした後、1950年代前半には大阪クラブで天皇杯決勝に2度出場。その後サッカーへの情熱を文字にして伝えることに興味は向けられ、1952年に産經新聞に入社し、1974年から10年後の退社まではサンケイスポーツの局長をつとめた。60歳という年齢は何の妨げにもならず、フリーランスライターとして活躍し、サッカーマガジンやFootball Japan(運営会社である株式会社シックスの会長でもある)をはじめとする多くの出版物で執筆した。85歳になった今も、サッカーと仕事に対する愛情は衰えず、今年の南アフリカ大会では腰のトラブルのために1974年以来続けてきた現地取材を逃すことになかったが、2014年のブラジルにはチャーター機を用意してでも行きたいと言う決意を語ってくれた。
賀川さんの輝かしい経歴は執筆活動に留まらない。1964年の東京オリンピックに際しては大阪トーナメント開催にかかわり、1970年の神戸FC設立のメンバーとなり、長年にわたって関西サッカー協会の役員を務めた。今回の選出は、2006年に選出された実兄である元日本代表の故・賀川太郎に続く栄誉でもある。
賀川さんの、まさにこの業績にふさわしい選出に私は心からのお祝いを申し上げたい。この2年半、賀川さんと仕事、プライベートで接することができたのは大いなる喜びだ。いつも温かさ、品位、謙虚さを感じさせる賀川さんは、周囲の誰からも最高の尊敬を集めている。私はこれからも長きにわたり共に働きたいと思うし、何よりも彼が自分自身について日本サッカーアーカイブに執筆する原稿を楽しみにしている!
Many,
many congratulations, Kagawa-san.
関連リンク:
英・ガーディアン紙 (賀川さんのW杯前の言葉について)
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