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南アフリカ人と「アフリカ」のアイデンティティー

2010/07/22(木)

今月、ヨハネスブルグで南アフリカサッカーの現況を調べている、英・エジンバラ大学の博士研究者、マーク・フレッチャー氏にインタビューを行った。W杯の影響によって南アフリカがどのように変わってきたか、そして地元の人々が準々決勝(対ウルグアイ)でガーナを応援していた理由をフレッチャー氏に教えて頂いた。(このインタビューの音声はFootball Japan Minutecastにてお聴き頂けます。

 

 

昨年にもおしましたが、そのときは治安やスタジアムの準備などについて、南アフリカに対する欧米日のステレオタイプが大きなネタでした。しかし、毎日のように載っていた批判的な記事が今となって、新聞から姿を消しているようです。

 

そうですね、殆どなくなっていますね。あのときはとにかく、イギリスの報道は何より勉強不足だったと思います。記者が一度も南アフリカに来ずに、勝手に変なことを書いていたケースも多かったようです。しかし、今年は本大会ということで実際に南アフリカに来てもらい、特にサッカー・シティのような驚くべき、世界で通用する施設を目の当たりにすることができました。そして、広く懸念されていた犯罪の多発や、例えば英国紙のデイリー・スターが大げさに予測していた「大量殺人」もやはり実現していませんね。あのような記事は完全に現実から乖離していました。もちろん、W杯が開幕してから犯罪事件が1件も起きていないわけでもありませんが、それは決してヨハネスブルク特有の問題ではなく、むしろ開催地がどこであっても同じでしょう。ロンドンであれ東京であれ、多少の犯罪は当然あるからです。

 

フレッチャー氏は1年ほどイギリスに帰国し、そしてW杯の前にヨハネスブルクに戻ったのですが、街のどんなところが変わったのでしょうか?

 

まずは、主要な観光スポットが新しく塗装し直され、綺麗になりました!しかし、皮肉はさておき、インフラの面でも大きな変化がもちろんありました。中でも道路工事が終わり、スタジアムも全て完成しています。そして、街の報告看板なども非常にカラフルになって、W杯開催を喜んでいる感じが強いです。さらに、これはヨハネスブルクという街自体に止まらず、人々も変わったと思います。今までにこれほど多くの人が南アフリカ代表、バファナバファナのユニフォームを着ているのを見たことはありません。どこに行っても国旗が飾られています。昨年のコンフェデレーションズカップのときにはこのようなシーンを殆ど見かけませんでした。

 

研究の一環として、W杯のパブリックビューイングやスタジアムで地元のサポーターと色々と話しているそうですが、この大会は南アフリカ人にとってどうだったでしょうか?バファナバファナのグループリーグ敗退によって何か影響はありましたか?

 

バファナバファナの敗退はブブゼラの勢いに影響があったかもしれませんね。W杯直前、特に開幕日の朝には、早朝5時からブブゼラを吹いていた人もいました。本当に止まらなかったのです。今は何も聞こえませんが、敗退前はこのオフィスでも外のブブゼラの音が響いていました。しかし、バファナバファナの結果にもかかわらず、一般の南アフリカ人はW杯開催の体験をものすごく楽しめていると思います。試合の観客席の過半数が南アフリカ人ですし。私が生観戦したパラグアイ対日本の試合には、実際にパラグアイと日本からお越しのサポーターが少なかったですが、その代わりに地元の人たちが両国の国旗を掲げたり、応援服を着たり、思い切って盛り上がっていました。このW杯というパーティーが終わってしまい、皆が逆に意気消沈すればどうなるでしょうかね。

 

最後に、ベスト8では地元の南アフリカ人が最後のアフリカ代表として、満場一致で必ずガーナを応援していたようでしたね。

 

大まかに言えばそうでしたね。アフリカのサッカーはやはり、結構ユニークです。例えば、エジプトがデンマークと対戦することになれば、アンゴラのサッカーファンも大陸の反対側とはいえ、同じアフリカということでほぼ必ずエジプトを応援します。これは欧州やアジア、北米などではなかなか想像できないことですね。世界の他の地域とは違い、アフリカには不思議で独特な地域アイデンティティーが強く存在するからです。イングランド人は同じヨーロッパだからといって、必ずイタリアをアルゼンチンより応援するわけではありません。この「アフリカ」というアイデンティティーが何故生まれるかはまだはっきり分かりませんが、私の意見では、植民地時代や宗主国との闘いの名残、或いは結果だと思います。アフリカの各国が独立を果たしてから、それぞれの国民性とともにアフリカのアイデンティティーもサッカーを通じて強めようとしたのです。

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