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2010年2月

ACL:いよいよキックオフ

2010/02/24(水)

川崎フロンターレの元監督・関塚隆は昨年末に電撃退団したとき、その理由は秋まで狙っていたタイトルを4つとも獲得できなった責任を取ったとされた。しかし、12月7日にクアラルンプールで行われた、AFCチャンピオンズリーグ(ACL2010の組み合わせ抽選にも注目していたのかもしれない。

 

今年も昨年に続き、ACLに出場する32チームは準々決勝まで西地区と東地区に分かれており、グループリーグでは同じ国のクラブが対戦しない「カントリープロテクション」も考慮されるため、Jリーグの4チームはそれぞれ別のグループに振り分けられ、必ず中国勢と韓国勢と対決することになっていた。そして、各グループの4つ目のメンバーは強豪オーストラリア勢、或いは東南アジアの比較的弱い相手という五分五分の可能性であり、グループの全体的な難易度を大きく左右する要素だった。フロンターレは結局、オーストラリア王者・メルボルン・ビクトリーの形で一番の貧乏くじを引いてしまったが、それのみならず、残りの2チームは中国スーパーリーグを制した北京国安とKリーグ準優勝の城南一和天馬も揃い、難しい相手ばかりとなった。もし関塚監督がこの死の組に怯えたなら、それほどおかしなことではない。

 

とにかく、23日の城南戦は川崎の新体制にとって初挑戦となる。2008年に健康不安のため一旦辞任した関塚監督の代わりに8ヶ月監督を務めた、元ヘッドコーチ・高畠勉が再び川崎の監督に就任し、9年間ヨーロッパで経験を積んだ日本代表MF稲本潤一新加入した。韓国サッカーで最も豊富なタイトル歴を誇る相手の敵地で、フロンターレの悲願の初トロフィーに向けて好スタートを切りたいだろう。

 

一方、稲本の古巣、ガンバ大阪の組はより楽のようである。24日の水原三星ブルーウィングスとのアウェイ戦は恐らく最も高いハードルとなるだろうが、それでも車範根(チャ・ブンクン)監督のチームは昔の面影が失われていることは確かである。2008年に2冠王に輝いた水原は昨年のACL初戦で鹿島アントラーズを4対1で圧倒して以来不調に陥り、リーグ戦では10位と低迷し、韓国FAカップ決勝戦のPK戦でギリギリの優勝を決めなければACL出場権も逃すところた。ガンバは現在、曹宰榛(チョ・ジェジン)の右手負傷や新加入のゼ・カルロスのコンディションなど、フォワード陣に課題はあるが、もし今週は負けるとしても、河南建業(中国で3位)とシンガポール・アームド・フォース(昨年のACLグループリーグ6試合で19失点)には十分差をつけ、無事に決勝トーナメント進出を決めるはず。

 

しかし、2008年のアジア王者にとって最大のチャレンジとなるのはまた、グループリーグの直後に行われる、一発勝負の決勝トーナメント1回戦(ベスト16かもしれない。ガンバは首位か2位かを問わず、突破すれば必ず死の組の相手と対戦することになり、昨年のベスト16で敗れた川崎と再度対決する可能性がある。

 

昨年のガンバ対フロンターレ戦は、グループリーグ突破が既に決定的だった川崎が第6戦、等々力で浦項スティーラーに敗れ、首位を奪われたことから実現した。そこから、Jリーグ同士の対決がさらに続き、最後に残された名古屋グランパスは国際経験が少なく準決勝で惨敗した一方、浦項は決勝トーナメントに入ってから一回も日本勢と対戦せずに3度目のアジア制覇を達成した。日本サッカー界には、これを見て悔しい思いをした人がたくさんいただろうが、浦項は今年、初出場を果たすサンフレッチェ広島と同じグループHで戦い、日本勢のリベンジの意味も込めてかなり面白い勝負になりそうである。他の2チームは中国の山東魯能(国内リーグでは5位、6位と勝ち点が並ぶも何とか4位を決めた)と2008年のACLで準優勝した、現在低迷中のアデレード・ ユナイテッド(Aリーグ 2008-09 準優勝チームとして参加するが、今月は2009-10シーズンを最下位で終了した)であり、広島の進出するチャンスが十分あるだろう。

 

今季のベスト8では同じ国のクラブが2つあった場合のみ、カントリープロテクションが考慮され、昨年のような日本勢同士対決の連続は再現されない。但し2008年のように、Jリーグから3チーム以上も進出した場合は改めてオープンドローに戻るが、これは恐らく、アントラーズ次第ということになる。鹿島は国内ではJリーグ史上初めてとなる3連覇を果たした一方、アジアの舞台でのやり残したことはやはりオリヴェイラ監督や選手たちのコメントと年間目標から、一目瞭然である。しかし、今年は全北現代モータース(韓国王者)、長春亜泰(中国リーグで準優勝)、ペルシプラ・ジャヤプラ(インドネシア)と同じ組に入りながら、問題はグループリーグを突破した後のことである。ACLになって4度目の出場になるが、決勝トーナメントではまだ1つの勝利も挙げられていない。

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隣との衝突

2010/02/17(水)

今回の東アジアサッカー選手権2010はあまり世界中に報道されなかったが、ある意味ではイギリス人にとって興味深い、参考になる大会だった。昔の「British Home Championship」(英国4協会選手権)は初回ワールドカップよりも46年前、1884年に世界サッカー界で初めての国際大会として設立され、イギリスを構成する4ヶ国(イングランドスコットランドウェールズ・アイルランド(現在は北アイルランド))が東アジア選手権と同様の総当たり戦を争ったもので、戦時中を除いて、1983-84シーズン大会までまる一世紀に亘って毎年開催された。同シーズンの末、この「British Home Championship」が中止となった理由として、当時のフーリガン事件の多発や北アイルランド紛争といった社会政治的問題とともに、スケジュールが詰まっていたことやサポーターの無関心なども挙げられたが、ここ数年はブリティッシュ・ダービーが懐かしいという声が再び多くなってきた。これを受け、この大会は新しい「4 Associations’ Tournament」という形で、来年のダブリン大会を皮切りに27年ぶりに復活することになっている。

 

但し、初回の開催地、アイルランド共和国はイングランドの代わりに参加する。その結果、ケルト同士の大会としてアピールがあるとはいえ、イングランド戦に匹敵する集客力は期待できないに違いない。FA(イングランドサッカー協会)でも原則、「British Home Championship」の復活に賛成だったが、日程が厳しいことから参加を拒否したという。これは「フレンズ」のフィービーの言葉を借りれば、「手伝えるといいんだけど、伝いくないの」と解釈すれば良いだろう。

 

イングランドの不在はともかく、アイルランド共和国は少なくとも今回の東アジア選手権の主催国、日本代表よりは良いパフォーマンスを見せたいだろう。岡田ジャパンは2日の国際親善試合でベネズエラと0対0で引き分けたことから、同選手権が始まる前からもマスコミの批判を浴びている中、6日に行われた本大会の開幕戦・中国戦もまた期待外れのスコアレスドローに終わった。サポーターの興奮度も最初から高かったとは言えない。中国戦の後、味の素スタジアムの客席からブーイングが飛んだが、半分が空席だったし、それに続き、日本が3対0で勝利した第2戦・香港戦は観客数が16368人に過ぎず、国立競技場で行われた男子の日本代表戦ではJリーグ発足後、最少となった。一方、日本代表戦がなかった7日(韓国対香港)と10日(中国対韓国)にも、入場者数がそれぞれ3000人前後と、スタンドがガラガラだった。

 

最後に、14日の韓国戦では雰囲気がようやく盛り上がったが、東アジア選手権で初優勝を狙った日本にとっては結局、何もかもが裏目に出て、1対3で惨敗した。相手のホ・ジンム監督(見る度に顔がますますビートたけしとそっくりに見える)は隣で勝利を祝福したが、岡田監督は再び自分の立場とワールドカップベスト4の目標を弁護せざるを得ないところだった。

 

しかし、この大会の背景もちろん考慮すべきである。2009年シーズンが元日の天皇杯決勝戦を以て終了したが、日本代表のメンバーは早くも1月25日から鹿児島合宿に集合し、それから東アジア選手権を終えてJリーグの開幕戦まで後3週間もあったので、選手たちの調子はまだプレシーズン状態というのは当然である。練習試合という感じが恐らくサポーターにも伝わり、ヨーロッパのクラブで活躍している選手を呼べなかったことも大きかっただろう。また、こういった状況をうまく利用し、2度目の優勝を飾った中国は日本と韓国とは違い、ワールドカップに出場しないため東アジアのタイトルに100%集中できたことも忘れてはいけない。つまり、冷静に考えてみれば、日本の「失敗」そのものはそれほど大した問題ではないと言って良いだろう。

 

にもかかわらず、得点力不足の苦しみやここ数日間の更なる批判は確かに、これからの大きなチャレンジに向けて精神的な影響を与えてしまう可能性がある。岡田監督は今のプレッシャーをチームのモチベーションに変えて乗り切るしかないが、批判がファンや記者のみならず上からも来ている中、これは余計に難しい仕事になるかもしれない。日本サッカー協会の犬飼基昭会長も不満を抱えていても当然であるが、プライベートではなく、公にどんどん毒舌を吐くというのは、大人げない反応だろうし、何の役にも立たない。

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スポーツ・イン・ジャパニーズ

2010/02/02(火)

50音図の制限もあり、分かりにくくなる場合も少なくないだろうが、日本語の語彙借用はとどまるところを知らない。一昨日、イギリス人選手のアンディー・マレーが出ていた全豪オープンテニスの男子シングルス決勝戦を観ようと思い、いつもの癖で選ぶ副音声はなかったが、それでも結局、テニスは英語でしか通じないようである。マレー選手は残念ながらストレート負けしてしまったが、一回だけ有利な立場を得ると、日本の解説者の言葉によれば「ファイブ・ゲームス・トゥ・スリー、サービング・フォー・ザ・セット」だった。すごくテニス好きではなければ、一般の日本人は本当に分かるのか、とふと思った。

 

これは恐らく極端な例ではあり、ある文化が海外に広がっていくにつれ、多少の言葉も輸出されるのも当然である。例えば、柔道や空手など、日本を発祥の地とする武道の名前は英語でも訳せず「judo」や「karate」と言い、karateka(空手家)やjudoka(柔道家)がdojo(道場)で身に付ける、様々なkihon(基本)、kata(型)、waza(技)もいずれそのままである。現代日本にナイトクラブやハンバーガーが浸透しているのと同じように、今や欧米人もカラオケやスシの喜びを味わえる時代である。

 

日本のサッカー(soccer:イギリス人としてfootballと呼びたいが、英米の議論はここでは省略する)はもちろん、平成時代になって本格的に普及してきた背景もあり、英語から転訛したカタカナ語が特に目立つ。大会はリーグ(league)であれカップ(cup)であれ、試合がいずれキックオフ(kick-off)から始まる。そこで、ミッドフィルダー(midfielder)はペナルティー・エリア(penalty area)付近で待つフォワード(forward)にスルー・パス(through pass)やアーリー・クロス(early cross)を出し、オフサイド(offside)の判定がなければ、可能性がおよそ3つある。つまり、チームメート(teammate)がシュート(shoot)を打つこと、ディフェンダー(defender)がブロック(block)してコーナー・キック(corner kick)を与えること、或いは相手がクリアー(clear)してカウンター・アタック(counter attack)に転じること。万が一、何か失敗することがあれば、味方サポーター(supporters)からブーイング(booing)されるリスクがあることも、言うまでもない。

 

ポルトガル語のボランチ(volante:英語では「defensive midfielder」という)やセリエAらしい応援歌など、第三の言葉に由来する例外も確かに存在するが、日本語の証拠に基づいて、英語とサッカーが全世界に通じるという考え方はやはり現実からそれほど乖離していないかもしれない。しかし、英語があまり良く分からない日本人によって(若しくは、そのために)作られた、いわゆる和製英語も加わると、これはかなり複雑な世界になってしまう。例えば、ヘッディングと「heading」は語彙的意味が全く同じだろうが、英語ではこれはあくまでも「to head」という動詞の現在分詞であり、名詞化すると「header」になる。よって、「ヘッディングする」はネイティブには少しおかしく聞こえ、「ヘッディング・シュート」はなおさら違和感がある(英語では「シュート」を特定せず、同じ「to head」を使うのが一般的であるが、「to head at goal」(動)や「header on goal」(名)なども考えられる)。日本語の「ミドル・シュート」は完全な造語で英語に相当する表現がない(「to shoot from outside the area」や「to shoot from 25 yards」という)ので、私はものすごく変な言い方なのか、ものすごく便利な言い方なのか決められない一方、「ハンド」の判定を聞くと、元々の「handball」から忘れられたボールがちょっと可哀想に思う。

 

言葉は確かに生き物というが、近年のサッカー界やビジネス界では単語を勝手に借用し、バズワードのように使うこともよくありがちな現象になっている中、どこまで続いていくのだろうか。とにかく、日常会話やサッカー用語はまだテニスのレベルまで乱れていないのは有り難いが、逆に考えれば、やはり乱れが生じると、恩恵を受ける人も必ずいるだろう。このコラムを毎週わざわざ日本語へ訳するのではなく、簡単にジャパニーズ・バージョン・オブ・マイ・コラムを作れば良いのであれば、私の仕事はだいぶ楽になる。

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