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2010年1月

ドドに任せる

2010/01/26(火)

コロ・トゥーレが必ず(チームメートが遅れて試合が既に開始している場合でも)最後にピッチに出ることや、ジョン・テリーマイ小便器など、サッカー選手が信じる迷信は多種多様である。これは明らかに、論理的根拠があまりないだろうが、夢を持ったアマチュア選手とレプリカユニフォームで満足するファンでもヒーローを真似しているかのように、自分なりの変な習慣を身につけることも少なくない。私自身の経験は、2007年に暫く履いていたラッキーパンツに過ぎない(味方チームがどうせ4試合に3つぐらい勝つことを大前提に、この下着の成功率は約75%ということが分かった)が、そこでサッカー界の迷信に対する考え方があべこべ、という確かな結論に達した。

 

こういった奇妙な試合準備はまさにその本質から、最終的に結果を少しも左右しないだろうが、過去の試合結果についてある程度の統計データ(これもあるタイプのサッカーファンにアピールする趣味)を集めれば、傾向分析ツール(或いは、「後の祭り」)を活用し、誰のパンツが呪われているのか、誰のパンツに才があるのかを解析することはできる。例えば、全ての関連する計算式によると、ガンバ大阪が万博から160キロの範囲を超えるアウェイ戦に臨む場合は、私は決して旅をしてはいけないようである。

 

この範囲内にある、関西の各チームと名古屋グランパスならばほぼセーフであるが、関東など行き過ぎてしまうと、最近10試合の成績は何と1勝8敗1分けに過ぎない。さらに、ガンバが近年、低迷しているわけでもない。2005年はPK戦で敗北したナビスコカップ決勝戦とそれに続いたリーグ戦連敗はその場で観たが、初優勝が最終節のロスタイムに決まった、奇跡の川崎フロンターレ戦だけは行けなかった。2006年の優勝決定戦には行ったが、同年のゼロックス・スーパーカップでも私の初トロフィーを奪われた浦和レッズに再び負けてしまい、そして翌年のスーパーカップはやめておくことにすると、ガンバが同じ相手に4対0でぼろ勝ちした。2007年はようやく、ナビスコカップ決勝戦で初めての勝利を飾り、その後は念のため暫く関西地方に閉じこもったが、2008年もやはりいつものパターンが繰り返され、昨年はリーグ優勝が絶望的となった鹿島アントラーズ戦(1対5の完敗)のみだった。もちろん、ガンバの天皇杯連覇はイギリスに帰国し、アデレードで開催された2008AFCチャンピオンズリーグ決勝第2戦は大阪のスポーツバーで観戦することで、十分距離を置いておいたことは、言うまでもない。

 

しかし、このような高度数学ではやはり大変なこともあれば、良いこともあるので、まだまだパニックはしない。例えば、いわゆるC契約でガンバに移籍することになった、ブラジル人の選手という形で、私は希望の光を見出している。19歳のドドは昨年、J2の愛媛FCに4ヶ月所属していた頃、2試合を生で観戦したが、2回とも彼の足と頭の速さや技、若さの輝きがピッチに立った22人の中で目立った。さらに(ここがポイント)、この2試合にも見事なゴールも決めたので、最終的に「オレンジの勇者」の1人としての成績は合計8出場でこの2得点にとどまったにもかかわらず、私がスタンドにいると、ドドの平均得点率は何と100%である。サンプルが小さいとはいえ、彼はもし青と黒でもスタメンになれば、ホーム戦では必ず17得点を取ってくれる、そしてアウェイ戦では少なくとも私の呪いが解けるように頑張ってくれることを、心の底から期待している。

 

迷信と冗談はさて置き、ドドとポルトゲーザから移籍するゼ・カルロスの入団は、J歴のあるブラジル人フォワードを確保するという、西野監督の数年に亘るポリシーの進化と考えれば良い。これまで、すぐにキーマンとなる選手がまずは素晴らしい成績を、そのうちに突然離脱して大きな問題を残すパターンが強いが、ドドは原石なので、ユース育成の実績を誇るガンバコーチ陣の下では研磨され、順調に成長できるだろう。26歳のゼ・カルロスは厳密に言えばJリーグは初めてとなるが、20042008年は蔚山現代ホランイ全北現代モータースのエースとしてKリーグで合計73出場34得点という成績を残し、2006年はガンバとも対決し、全北のACL優勝に大きく貢献した。年齢を考慮し、最初から期待されるプレッシャーもあるが、ここ1年半は母国で充電してきたので、今度のアジア挑戦に向けてやる気が十分沸いているはず。

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氷雪の国

2010/01/20(水)

今回のクリスマス帰国はタイミングがばっちりだった。今年のファースト且つラストのブリティッシュ・ブレックファースト(ベーコンや目玉焼き、ソーセージ、ブラックプディングなど)を貪り食い、ブリストル空港から日本へ向かって出発した翌日、イギリスは国中至る所に雪に見舞われ、空港がすべて麻痺状態になってしまった。

 

私が気付いたのは大阪の部屋に着いてから、時差ボケのピークのときだった。朝の5時に眠れず、イングランドのカーリングカップ準決勝を観ようと思った矢先に番組がスカパーのEPGから姿を消していた。イギリス国内では「ピッチは大丈夫だが、スタジアムの周辺や駐車場で滑って転ぶ事故があればクラブ側が訴えられないかと恐れているのでは」という声もあったが、とにかくその週の週末(8~9日)も結局、悪天候による中止がプレミアリーグ史上最多の8試合だった。イギリスの友達から雪合戦や(ある1人の場合)イグルー構築など、大雪の休業日の話を聞いて少し羨ましかったが、クリスマスに貰ったDVDを見ながら、やはり、せっかく帰国していた間にサッカーが中止となったらさらに勿体なかっただろうという結論に達した。

 

実のところ、私が故郷で過ごした2週間はただ寒かっただけで、凍った歩道で尻餅をついたことも2、3回ありながらも、大切なサッカー観戦は幸い無事だった。ニューイーヤの二日酔いを覚ますためにも、元日は約15キロ離れた隣の町へ出かけ、屋根のなかったアウェイ側で地元の実質8部チーム、トーントン・タウンを毎年恒例のように熱く応援した。トーントンは2007年にプレーオフ決勝戦で7部昇格を逃したが、それ以来は毎シーズン残留争いに巻き込まれており、この試合も相手のブリッジウォーター・タウンが(かなり面白い喧嘩の末)1人少ない状態になっても点が取れず、勿体ないPKでダービー戦を負けてしまった。そして2日はFAカップ3回戦だったので、ルートン・タウン(現在5部で7位)ファンの伯父とサウサンプトン(3部で13位)戦にも行った。結局、ルートンも同じ1対0で敗れてしまったが、リーグの差を感じさせない、なかなか良い勝負だった。

 

Bridgeytaunton

ブリッジウォーター・タウン対トーントン・タウン(黄)、2010年1月1日

 

在日イギリス人ライターとして、Jリーグのチームはイングランドだったら何部の何位くらいなのか、というようなことを頻繁に聞かれるのであるが、公式戦での直接対決は2008ガンバ大阪マンチェスター・ユナイテッドの1試合しかない中、これは結構難しい質問である。私はいつも、J1のトップチームならばテクニカルな面ではプレミアの下位レベルより優れているはずだが、やはりフィジカルな面では今でも不利な立場にあり、結果的に残留争い、というふうに答える。しかし、サッカーの下部組織を探索してみれば、トーントン・タウンにも勝てないチームは日本の地域リーグ(実質4部、5部)まで1つもないだろうが、サウサンプトンやルートンに相当するチームはどこかと言えば、ますます推測の話になってしまう。27年間もプレミア勢だったサウサンプトンは2005年から急落してきたが、もし日本へ移住させられることがあれば、2010年のチームでも2日の証拠に基づいて、プレーの速さだけでJ1残留を決める可能性がある。ルートンは財務管理下に置かれた影響もあり、現在はフットボールリーグからも姿を消しているが、それでも例えば、私の気に入った愛媛FCと比較すれば、チーム色は一緒ながら経験の度合いや(アダム・ニュートンの信じられないミスにもかかわらず)プレーの内容はルートンがわずかに優れているかもしれない。

 

Sotonluton

サウサンプトン対ルートン・タウン(オレンジ)、2010年1月2日

 

最後に、話が観客席に変わるが、中には空虚な脅し(その多くは安全な距離を隔て、隣のスタンドから)もあったとはいえ、サポーター同士の冗談やからかいはやはり面白くて懐かしかった。ブリッジウォーター対トーントンはダービーということから、観客動員数はいつもの4倍ほど、1000人を超え、私がスクランピーを数パイント飲まなければもう真似できなくなった、キツい「サマセット弁」の冗談を交わし合いながら皆で盛り上がった。翌日のセント・メリーズ・スタジアムでも、お互いの近年の低迷や降格がブラックユーモアのネタとなり、特にルートン側はサウサンプトンの地域ライバルであるポーツマスの応援歌や、(ポーツマス時代には昇格やFAカップ優勝を果たしたが、サウサンプトン時代には2部リーグに降格してポーツマスに再び戻った)ハリー・レドナップ監督の歌を繰り返した。Jリーグではファンが90分歌い続けても、こういったユーモアはなかなか表現されず、相手に対するコールはたいてい、特に嫌われているライバルとJ2に落ちてしまいそうなクラブに限る。挑発と喧嘩は確かに避けたいし、イギリスのクラブが2000年代に入ってから相次いで倒産してしまうような悲しいネタももちろん浮かばないで欲しいが、私の好きなガンバ大阪も含め、日本のサッカー応援もたまに冗談っぽくすれば良いのではないかと、帰りの飛行機で思った。

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