先月、南アフリカサッカーの現況を調べてきた博士研究者、マーク・フレッチャー氏にインタビューを行ってから、さらに5ヶ国(ブラジル・ガーナ・イングランド・スペイン・パラグアイ)の代表チームがW杯出場権を獲得している。この出場国のリストがどんどん増えてくるにつれ、南アフリカの治安や施設といった課題に世界の注目が今までよりも集まってくるに違いない。しかし、フレッチャー氏が何回も強調したように、南アフリカの国民とW杯組織委員会にとって最も高いハードルはこういった課題ではなく、やはり自国とアフリカ全体に対する世間のイメージを変えることだろう。
このインタビューが終わってから、私とフレッチャー氏の話が少し脱線し、海外に住むイギリス人としてお互いの経験話をオフレコで交換した。特に、外国生活を送ることで、母国のことを改めて見直したり、ホームとなった2ヶ国の長所短所を敏感に感じたりする、ということを話し合ったが、私の場合は日本に来て5年半経ても、確かによく感じることである。先週の金曜日、オランダ人の友達とバーに入ろうとしたとき、明らかに空いていたのに「もう満席だ」と入店を断られてしまい、簡単に「外人禁止」と言われたも同然である。しかし、その翌日には、ガンバと大阪が大好きになったきっかけの、最初から温かく迎えてくれたガンバサポーターと一緒に関西ダービーを楽しむことができた。また、イギリスに対する日本人の間違った認識に驚くこともある一方、一昨日、BBCラジオ・ポッドキャストに出たゲストが日本人の気持ち悪い真似をしたときなど、イギリスの無知に腹が立つこともある。
フレッチャー氏がこういった「間違った認識」の例として取り上げた、世界陸上のカスター・セメーニャ選手の性別検査は先日、再びニュースになった。私が見たところ、欧米の報道は全体的に十分公平だったと思うが、この非常にセンシティブでプライベートな問題が(800m決勝戦の日にも、ベルリン大会の後にも)何故か公になってしまったことは、国際陸上競技連盟(IAAF)が考慮に欠け、反省すべきだろう。それでも、ここでは南アフリカ側が主張するような人種差別はなかっただろう。世の中のスポーツ運営組織の無能は、人種や国籍を問わない。
しかし、英語のことわざにもある通り、被害妄想だからといって、実際に自分を狙っている人がいないとは限らない。世界のマスコミにはもちろん、リスクがあれば国民に知らせる義務があるだろうが、W杯開催については確かに最初から悲観的な報道ばかりで、南アフリカ側がイライラしていても当然である。世間が開催地の失敗を待っているという雰囲気は昨年、北京オリンピックの前にも現れた(AFCアジアカップ2004中国大会の反日運動の影響もあっただろうが、日本ではよく感じた)が、そのときは最終的に見事なオリンピックに終わった。世界のグローバル化が進む中、南アフリカであれ、ユーロ2012のポーランドとウクライナであれ、2014年のブラジルであれ、サッカーをはじめスポーツを通じて様々な文化に触れる機会は恐れるのではなく、むしろ享受すべきだろう。
インタビューのパート①でフレッチャー氏が言った通り、いわゆるリスクに過剰反応せずに、W杯をひたすら楽しむしかないことである。まだまだ解決しなければならない課題もあり、2002年の日本と韓国ほど極端に安全で手際の良い開催地ではないかもしれないが、戦闘地域というわけでもない。南アフリカは毎年およそ1千万人の観光客を歓迎し、すでにラグビーとクリケットのワールドカップ開催歴を誇る。皮肉にも、今年のインディアン・プレミアリーグは安全のため、開催地が突然インドから南アフリカに変わることになったが、大成功に終わった。しかも、W杯のために警官も通常よりたくさん配置され、ほかに様々な安全対策も強化されるので、南アフリカに行きたいのなら、来年こそ安心して行けるはずである。多少、気をつけなければならないところもあるかもしれないが、これは普通の海外旅行に行っても同じだろう。
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