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2009年8月

【インタビュー】W杯に向けて南アフリカの現況: ①治安

2009/08/27(木)

岡田ジャパンはすでにどこよりも早く、W杯出場権を手に入れているが、来年の開催地、南アフリカは多くのファンや記者、選手にとってまだまだ未知の世界である。そこで私は、先月まで19ヶ月、ヨハネスブルグで南アフリカサッカーの現況を調べてきた、英・エジンバラ大学の博士研究者、マーク・フレッチャー氏にインタビューを行った。3回シリーズの1回目では、フレッチャー氏が南アフリカの治安について語る。

 

 

来年の南アフリカ大会に向けて、治安は大きな課題となっているでしょう。先月のコンフェデレーションズカップの間にも、欧州を中心に世界中のマスコミで大きく取り上げられましたが、現地の関係者は「もう、大丈夫だ」と、少しイライラしながら懸念を否定しているそうです。1年半ほど、現地でずっとサッカーを見てきたイギリス人として、今の状況はどうですか?

 

私が現地にいた19ヶ月の間、1回だけ事件に遭いました。今年の1月、カイザー・チーフスマメロディ・サンダウンズの試合でカメラが盗まれました。しかし、それだけです。暴力に遭ったり、脅かされたりしたことはありません。今、振り返ると逆に面白いですが、この事件に遭った試合ではキックオフの前、ちょっとした乱暴騒ぎに巻き込まれてしまいました。ゴール裏のチケットを持ったサポーターが無理やりメインスタンドに潜入しようとして、警察は唐辛子スプレーを使って騎馬警官も呼びました。しかし、こんなことは珍しかったです。コンフェデレーションズカップでは、スタジアムの中はだいぶましでした。国内リーグ戦と比べれば、非常に安全で、警備も充実していて、全体的に手際も良かったです。こういった改善は一目瞭然でした。確かに、まだまだ解決しなければならない課題もありますが…

 

しかし、スタジアム以外はどうですか?コンフェデレーションズカップをカバーしたイギリス人記者が少なかったですが、タイムズ紙のガブリエル・マルコッティ氏が真っ暗な夜間走行や銃を突きつけられたという話とともに帰りました。記者たちでもこんな目に遭うなら、一般的なサッカーファンは結構危ないのではないですか?

 

まあ、ね。ヨハネスブルグに住んで、研究を進めている中、出会った人からカージャックや武装強盗に遭った話もしばしば聞きました。しかし、ヨハネスブルグのような街は危ないと認めざるを得ない一方、このリスクを最小限に抑える手法ももちろんあります。研究のため、「危ないよ」と言われた道でも歩いていたが、荷物は最低限のものしか持っていかなかったのです。携帯電話は万が一盗まれても良いような、非常に安い機種でした。お金もあまり持ち歩きませんでした。

 

しかも、この犯罪に対する、世間の心配や認識がとにかく現実とはかなりずれていますよ。南アフリカ人の中でも、多くの白人はものすごくセキュリティが強化されている家に住んでいます。壁やゲートが高く、電気柵や非常ボタンもあって、武器を持った警備員まで…。家を出るのも怖く、外出をするにしても車で出勤や買い物するぐらいです。しかし、私の経験では、現実はそう怖くないです。私はこの「危ないところ」を普通に歩いたり運転したりして、いつも無事でした。また、カイザー・チーフスなど、現地のサッカーユニフォームを着ていくと、人はむしろ優しく声をかけてくれることもよくありました。因みに、ヨハネスブルグのサントンというような高級地区であれ、都市衰退に見舞われた中心部であれ、襲われる可能性があまり変わりませんよ。ちょっとヒット&ミスです。

 

では、海外のサポーターはどうすれば良いですか?日本のサッカーファンの場合、ここはまだかなり安全な国ですし…

 

残念ながら、南アフリカ、特にヨハネスブルグに行く場合は、何かが起こる可能性が確かにある、という覚悟が必要です。私も嫌でしたが、現地に行って、少しずつ鈍感になってきました。これがポイントです。仕方がないので、不安を克服してひたすら楽しむしかありません。私の知り合いがある日、大きなデジタル一眼レフカメラを持って、一日中ヨハネスブルグの中心部を撮り歩いたが、彼女も全然無事でした。10万円以上もする、かなり立派なカメラでしたが、誰も気にしません。やはり、「犯罪の危険」というのは現実より、大勢の間違った認識と恐怖心から生まれています。

 

それなら、一番大事なのは、リスクを十分覚悟しながら、過剰反応をしない、ということでしょうか?

 

その通りです。欧米では、日本人はみんなカメラを持って写真を撮りまくるというステレオタイプがありますが、W杯のときにやってくるサポーターは国籍を問わず、誰でも撮りまくっているでしょう。しかも、警官も通常よりかなりたくさん配置される予定ですし、正直、地元の人々でも観光客の面倒を見てくれると思います。確かに、物も売ろうとするかもしれませんが、それぐらいは別に良いんじゃない?!私がいたとき、本当に色々な人がお世話になりました。何故なら、白人というのもありましたが、私という外国人がサッカーを見るためにわざわざ南アフリカまで来たことを喜んでくれたからです。それに、多くの人は現地の生活や、サッカーの見方と応援のやり方を喜んで紹介してくれました。ですから、南アフリカ人の過半数はきっと、各国の観光客を歓迎したいと思っていると思います。多少良くないところもあれば、非常に魅力的なところもたくさんあるわけですよ。

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文化ショック

2009/08/20(木)

イングランドのサッカー界では、外国人選手の流入に関する議論は今に始まったことではないが、今季のプレミアリーグ開幕に寄せてBBCスポーツの特集記事を見ると、各クラブがここ20年でどれだけ多様化してきたか一目で分かる。中流階級のイングランド人にサッカーへの愛を思い出させた1990年W杯イタリア大会の直前(そして、現在の金権の道を開いたプレミアリーグ創設の3年前)、1989-90シーズンには、外国人選手というのはまだまだ珍しい存在だった。いわゆるビッグクラブでさえ、イギリス出身でないメンバーがわずか1、2人に過ぎないことが一般的であり、同年のチャンピオン、リバプールには5人もいて、非常に例外的だった。さらに、「外国人」と言いながらも、その中、国籍がベルギー、ノルウェイなどといった北西欧の選手が過半数だった。

 

現況はもちろん、正反対である。今季、2009-10シーズンには、2部から昇格したウルバーハンプトン・ワンダラーズ20:8とイギリス出身の割合が最も多いが、それに対して、アーセナル27人のメンバーのうち、イギリス人がセオ・ウォルコット等4人の21歳未満選手しかいない。現在のプレミアリーグ選手はグアドループ島(ウルバーハンプトンのロナルド・ズバル)からコソボ(サンダーランロリック・サナ)やガボン(ハル・シティダニエル・クザン)まで、真に世界の至るところから集まっている。アジアと言えば、イラン人選手(フルハムアントラニク・タイムリアン)、オマーン人選手(ボルトン・ワンダラーズアリ・アルハブシ)、そして3人の韓国人選手(マンチェスター・ユナイテッド朴智星(パク・チソン)、フルハムの薛琦鉉(ソル・ギヒョン)ウィガン・アスレティック趙源熙(チョ・ウォンヒ))も現役で活躍している。しかし、今年も残念ながら、プレミアリーグに日本人選手が1人もいない。

 

スタメン競争があまりに激しいにもかかわらず、海外リーグでプレーするイングランド人選手がほとんどいないが、国内の人材があまり海外へ流出しないという点を除き、Jリーグの人材動向はプレミアとあまり共通点がない。EUの労働規約がもちろん適用されない日本では外国人枠があるため、外国人選手の割合がこの17年でほぼ一定しており、シフトがあったとしても、ブラジルリーグから(また、「アジア枠」が設けられた今年はKリーグからも)やってくる傾向がさらに顕著になってきただけである。Jリーグ開幕時、ゲリー・リネカー名古屋グランパスエイトで怪我にも悩み、早くも引退して以来、大物のイギリス人選手が1人も来ていない。しかし、これと同様に、今までJからプレミアへ挑戦した日本人選手はまだ3人に過ぎない。中田英寿は現役引退する前の1年をボルトンで過ごし、十分結果を残したが、稲本潤一は移籍を重ねなかなか落ち着かなかったし、戸田和幸トッテナム・ホットスパーで出場した4試合はたぶん忘れたほうが良いだろう。

 

「アジア人は体が小さく、イギリスのようなアグレッシブなサッカーには向いていない」というのは確かに甘口な意見であるが、それでも事実とそう懸け離れてはいない。今やプレミアリーグに韓国勢が現れた背景には、朴智星と薛琦鉉の2人はフース・ヒディンク監督のもとで育成され、そしてもう1人の趙源熙もウィキペディアによると、「スタミナと…闘志あふれるプレースタイル」という主な特徴を誇る。しかし、西欧サッカーを文化や民族で2つに分けてみると、日本人選手はやはり「ゲルマン系」の北部より、技術を発揮できるスペースのあるセリエAなど、「ラテン系」リーグのほうではうまく活躍できている傾向がある。

 

とはいえ、この傾向には変化の兆しがようやく、少しずつ見えている。今年までセルティックでプレーしていた中村俊輔フェイエノールト時代の小野伸二の成果を基にさらに前進し、日本人選手でもゲルマン系のサッカーで成功できることを後輩たちに証明した。そこで、本田圭佑はキャプテンとしてVVVフェンロをオランダ2部のタイトルへと導き、長谷部誠もドイツ・ブンデスリーガでVfLボルフスブルクの初優勝に貢献した。特に本田選手は、オランダ1部でもすでに見事な成績を残している結果、ヨーロッパ中に注目を集めているが、理想的には、プレミアのようなリーグに移籍するまで、オランダでの成長をあと1~2年ぐらい続けば良いだろう。焦らずに、きちんとゲルマン系の教育を受けておいたほうが、彼自身だけではなく、結果的に日本サッカーの成長にも繋がるかも知れない。

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遠藤たちはもうエンド?

2009/08/05(水)

私は初めて万博に行ったのはほぼ6年前、20031025日の土曜日だった。ガンバ大阪は、エイトという名がまだ残っていた名古屋グランパスエイトを3対1で倒したことで、残り4試合のJ1セカンドステージで大混戦の中、順位を(16チームのうち)8位まで浮上し、首位の東京ヴェルディ1969との勝ち点差を4に縮めた。北ゴール裏の芝生スタンドも初体験だったが、そこでは、2つの主要応援団のコールリーダーが握手を交わし、それまでしばらく続いていた分裂応援に終止符を打った。そして、当時は外国人のサポーターが珍しかったからなのか、少しお酒に酔った応援団員に芝生の前へ招いてもらい、ガンバや今でも共に応援している友達に対して愛着の種が蒔かれた。

 

3週間後のFC東京戦では、遠藤保仁橋本英郎二川孝広の中盤コンビを初めて見た。

 

正直に言えば、ガンバは2003年まで現実的な優勝候補ではなかったが、ゴール裏の芝生のように、そんな時代はもう過去の話である。2004年に着実な向上を示した後、ガンバは4シーズンで国内とアジアのタイトルをすべて獲得し、昨年のアジア王者としてクラブワールドカップ3位も手にした。パフォーマンスは一貫して良好とは言えず、メンバーの入れ替えが多い中でシステムも3-5-2、4-3-3や4-4-2など様々であるが、この黄金時代を通じてずっとスタメンで貢献し続けているのは、現在のキャプテンでもある山口と、遠藤・橋本・二川の三拍子だけである。守備が弱点のガンバでは、アラウジョ大黒将志バレといった爆発的なフォワードももちろん、それぞれの優勝に向けて重要な役割を果たしたが、得点力は昔のガンバにもあった。毎年、優勝候補と言えるチームになったのは、この中盤のおかげに違いない。

 

しかし、今年の結果はそれほど良くない。ガンバは現在、昨年の最終順位と同じ8位に沈んでおり、首位の鹿島アントラーズとの勝ち点差が14まで広がっている。また、バレーの突然離脱とその直後の低迷から何とか回復し、AFCチャンピオンズリーグ優勝に飾った昨年とは違い、今季はハッピーエンドも期待できない。ガンバは相次ぐ怪我人の影響で春の勢いを失って以来、調子がなかなか上がらず、ACL連覇の夢が早くもベスト16の段階で潰えるとともに、2年前に優勝したナビスコカップでも横浜マリノスに惨敗し敗退した。さらに、「もっとやる気を見せろ!」と、サポーターの激怒を招き始めている。近年のガンバはたとえ、前半をビハインドで折り返したとしても、後半は一段と攻撃的に出て、何とか逆転するパターンが多かったが、今年は思うようにいかないとき、解決案が佐々木勇人の途中出場くらいしか見つからない。今や残念ながら、ガンバの黄金時代を支えたミッドフィールダーはもう試合を支配できないのかと聞かざるを得ない。

 

29歳と(橋本の場合)30歳の年齢で、この選手たちはもはや活力ある若者ではないとはいえ、「もう年だ」と言い捨てるのも時期尚早である。元日の天皇杯決勝戦までのプレーを見ると、ガンバの選手はみんなトップレベルでまだやれるはずだろう。しかし、ある意味では、ここが問題かもしれない。マンチェスタユナイテッドのサー・アレックス・ファーガソン監督は「過去の成功を忘れ、これからもどんどん勝っていきたい」という選手の意欲を何回も強調してきたが、メダルを揃えてしまうと気持ちが変わる人もたくさんいる。ガンバの2008年は奇跡のようだったし、ユナイテッドとは違い、リソースももちろん限られているので、ベテラン選手は中位争いに気がないといっても無理はない。また、二川は確かに怪我に苦しんだりしているが、橋本と遠藤は日本代表のメンバーとして、来年のワールドカップも気になっているに違いない。3年前には、ドイツW杯で日本代表キャプテンを務めた宮本恒靖のパフォーマンスがあまりに落ちてしまい、ガンバのベンチに降格することも少なくなかったが、遠藤たちも同じ道を歩めば悔しくてたまらない。

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