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水原市やパライバ州から、J2経由で、マンチェスターやポルトへ

2009/04/14(火)

皮肉にも、今年のUEFAチャンピオンズリーグベスト8で最も面白くないと考えられていた対決は第2戦に向かって、一番接戦になりそうである。FCポルトはオールド・トラフォードの第1戦で引き分けと、貴重なアウェイゴールを2点も掴んだことは、マンチェスター・ユナイテッドが楽勝するという予想に大きく反し、逆に、後者がアーセナルビジャレアルとの準決勝に進出しクインチュープルの夢を持ち続けることが、少し厳しくなっているだろう。

 

しかし、現在ヨーロッパの舞台で輝いている、元Jリーガーの外国人選手が直接対決するということで、この試合は日本の視点から、元から期待されていた。もちろん、キャリアの晩年など、外国人選手が逆方向に来日した例が幾つもあるが、ユナイテッドの朴智星ほど、日本サッカーでの活躍をバネに欧州のトップリーグで世界的なスターになったものはほとんどいないだろう。19歳のとき、母国韓国の明知大學校で見出された朴智星は当時の京都パープルサンガでプロデビューを果たし、2002年に同チームの天皇杯優勝にも貢献した。その後、元韓国代表監督だったフース・ヒディンクのPSVアインドホーフェンヨーロッパの舞台に立つチャンスを得て、やがてユナイテッドに移籍し、プレミアリーグやチャンピオンズリーグなど、トロフィーを次々と獲得している。しかし、この一週間は、朴智星にも負けないほど多くの報道に注目されている、元Jリーガーの新顔が欧州サッカーファンの意識に登場した。

 

アメリカの「超人ハルク」という漫画からをつけられた、「フッキ」(日本語での表記は英語とブラジルポルトガル語を混同したもの)は確かに覚えやすいあだ名であり、何らか良いプレーを見せるたびに、ヨーロッパのアナウンサーや記者は「超人みたい」というような親父ギャグを言わずにいられない。しかし、マスコミ関係者は相手のディフェンスと同じように、フッキの登場に不意打ちを食らっているようである。12日の英国・オブザーバー紙では、エイミー・ローレンスはフッキについて興味深い記事を掲載したが、ニックネームが東京ヴェルディの色に由来するという、イギリスの報道でよくある誤解を助長してしまった。もちろん、このあだ名は来日以前、母親につけられたのであり、このフッキという名前で頑強な体格をした選手がヴェルディに移籍し緑色のユニフォームを着ることになったことは、単なる面白い偶然だった。

 

しかし、フッキのJキャリアも少し複雑なものだった。18歳の若者として、母国ブラジルの2部、ビットーリアから川崎フロンターレに入団し、私がライターを務めていた2005年の天皇杯で2出場2得点という見事な実績を残したが、フロンターレでは3人の外国人枠がすでに埋まっていたため、その翌年から2年、レンタル移籍でJ2で経験を積むことになった。ここで、2006年シーズンはコンサドーレ札幌41出場26得点、2007年シーズンは東京ヴェルディで42出場37得点という実績を記録し、爆発的な存在感を誇示した。それでも、全Jリーグのスターというレベルまでは意識されず(昨年、シックスの関係者との飲み会で、フッキの顔がお店のテレビに出たとき、NHKのあるアナウンサーが「あの選手だれ?」と私に聞いた)、2008年のJ1復帰は騒然とした、短い間だった。2年ぶりに戻った古巣の川崎では、関塚隆監督の戦術に反対し、わずか2試合に出場してから退団することになった。再び上京しヴェルディに戻ったが、昨年のリズムを取り戻し、4ヶ月・11出場で7得点も挙げたにもかかわらず、監督・フロントとの関係が悪化し、Jリーグの審判に対して不信感を抱いていたことを理由に、7月にまたしても移籍することになった。本人は、ヴェルディと日本はまだ愛していると言ったが、移籍の正式決定・発表よりも先に、エスタディオ・ド・ドラゴンに登場しポルトのユニフォームでポーズしたというのは、ヴェルディにとって少し辛いさようならだった。

 

札幌での初フルシーズンで、イエローカードを15枚、レッドカードを3枚も受けたなど、フッキは元から気が短いイメージがあったが、ポルトにはもう少し長居すれば、ポルトガルのサッカーと生活は気分転換となり、彼のメンタル面と技術面の成長に繋がるかもしれない。体は確かに強く、プレーも効果的であるが、たまにはもう少し成熟していればこの武器をよりうまく生かし、チームにより貢献できるとも考えられる。とはいえ、アトレティコ・マドリードのアベル・レシーノ監督やマンチェスター・ユナイテッドのサー・アレックス・ファーガソン監督はフッキのポテンシャルを体験から語り、評価しているなど、ヨーロッパでの期待はすでに高まっている。その突然の離脱はヴェルディのJ2降格の大きな要因とも言え、J1でのキャリアが短期間しか存続しなかったことが非常に残念だったが、将来に朴智星のようなレベルまで成長すれば、フッキの再来日はいつでも大歓迎されるだろう。

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