« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »

2009年1月

若さの輝き

2009/01/27(火)

マンチェスター・ユナイテッドFAカップ4回戦(対トッテナム・ホットスパー)は3人の若い選手にとってデビュー戦となり、注目を集めた。これは、怪我人が多いというのもあったが、プレミア・リーグの後半戦が熱くなりはじめている中、影が薄くなっていたこのカップ戦に輝きを与えたに違いない。ビッグクラブのファーストチームに選手が25人以上も所属するこの時代、21歳以下の選手を3人も新しく投入することはずいぶん珍しいが、特にユース育成の伝統が豊かなユナイテッドでは、若い選手の活躍はいつもファンの胸を躍らせる。1986年の就任以来、この伝統を継続してきたファーガソン監督にとっても、まるで不老不死の薬のようである。

 

今シーズンの新人スターは間違いなく、右サイドバックのラファエウ・ダ・シウヴァであるが、左サイドバックでプレーする双子の兄、ファビオも顔だけでなく才能も同じと評価され、初登場が期待されていた。皮肉にも、ファビオのデビューは弟が怪我しているため実現したが、兄は最初から活発なプレーを見せ、サポーターに印象を残した。残念ながら、怪我の影響で交代されることになったが、ファビオと変わった19歳のリチャード・エカーズリーも、2005年のカーリング・カップで1回出場した兄のアダムに続き、ユナイテッドのデビューに輝いた。また1月の移籍の窓、パルチザン・ベオグラードから加入したゾラン・トシッチも72分からピッチに入り、活躍する時間が限られたが、出場機会はこれから増えると思われる。

 

次世代に繋ぐという意味で、ガリー・ネヴィルポール・スコールズと同じピッチで肩を並べたこともふさわしかったが、サッカーがこの20年で大きく変化してきたことも浮き彫りになった。ライアン・ギグスデビッド・ベッカムも育った、1992FAユース・カップ優勝の世代はどの時代にも例外的かもしれないが、現在のビッグクラブには若者選手が世界の隅々から集まっている。セルビア代表のトシッチ(21歳)は、さらに期待されているアデム・リャイッチ(17)とともに、合わせて1630万ポンド(約21億円)の移籍金で獲得された。一方、ブラジル出身のダ・シウヴァ双子は18歳になるまでプレーする許可が下りないにも関わらず、16歳のときにユナイテッドと契約を結び、結局、古巣のフルミネンセのファーストチームに1回も出場せずに昨年から加入した。

 

もちろん、外国人選手の流入はプレミア・リーグ発足以来の傾向であるが、ユースにも広がってきた原因の1つはFAのアカデミー制度である。1998年に創設されたこの制度は、若い選手にサッカーだけではなく幅広い教育を行うことを狙いとし、評価されているが、すでに充実したユース体制を備えていたクラブにとっては、国内の生徒は90分の通学圏内に住んでいるという条件に異論がある。このルールの結果として、ユナイテッドはイングランドの南部などでスカウトできないが、代わりに活動を全世界に広げ、ジェラール・ピケ(現:バルセロナ)、ジュゼッペ・ロッシ(現:ビジャレアル)、ダ・シウヴァ双子の他に、将来の活躍が期待されているロドリゴ・ポセボン(19歳、元インテルナシオナル)やフェデリコ・マチェダ(17歳、元ラツィオ)などを10代のときから獲得するようになった。また、トシッチやクリスチアーノ・ロナウドアンデルソンなどのように、現役としてすでに実績を残し始めた若い選手も、うまく育てると真価がさらに上がるという前提で巨額な移籍金で入団した。ロンドン出身のベッカムは現行規則では、ユナイテッドのユース体制に所属できなかったが、エカーズリー兄弟のようなマンチェスター生まれ育ちの選手にとっても、競争がどんどん激しく、グローバル的なものになっている。

 

この傾向は必ずしも悪いことでもなく、ユナイテッドのファンとしてラファエウやファビオのプレーを見て確かにドキドキするが、やはり初めてスコールズやギグスを見たときの気持ちとは少し違う。エリック・カントナ1990年代の選手育成に貢献したように、Jリーグではドゥンガドラガン・ストイコビッチシジクレイなども若い日本人選手にとって大きな存在となっていたが、実際に一緒にプレーもできたことは何より大事である。ボスマン判決が適用されない日本では、代表チームの安田理大ガンバ大阪、吹田市出身)や香川真司セレッソ大阪、神戸市出身)をはじめ、多くの若い選手が地元のクラブで活躍できることは、サポーターの誇りと親しみにも繋がる。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


希望に溢れる、移籍の窓

2009/01/20(火)

アジア初制覇、クラブワールドカップで3位、Jリーグ時代の天皇杯初優勝。名目上は、2008年はガンバ大阪の歴史に残る、素晴らしい1年となった。しかし、より深く見てみると、遠藤保仁らの安定した中盤をもとに大成功を博した秋の季節はチームの欠点を隠した。大混戦の影響もあったが、2007年までは年々進化を重ねていたものの、昨年は1年を通して勝点も得点も大幅ダウンとなり、失点も著しく増えてしまった結果、結局5年ぶり最低の8位でリーグを終了した。近頃の経済危機を背景に、日本の移籍市場が欧州と同じように固まりつつあるが、西野監督は昨シーズンの栄光に満足せず、ライバルに先駆け補強に力を入れていることは驚くに当たらない。

 

シーズン途中、バレーの突然離脱はもちろん、その直後10試合も続けて勝てなかったことから分かるように、低迷の主因の1つだった。ロニーがピンチとして入団したにも関わらず、(リーグ戦では)3年連続で70以上だった得点数がいきなり46まで下がり、とてもガンバらしくない成績だった。しかし、西野監督はフォワード陣の入れ替えに対応する経験が十分あり、今年もアラウジョ、マグノ・アウベス、バレーとルーカスと同様に、Jリーグ経験のある外国人選手を獲得した。ヴィッセル神戸から入団するレアンドロは昨年けがに苦しんだが、日本キャリア通算115出場で55ゴールという記録を誇る。また、韓国代表の曺宰溱も清水エスパルス時代(20042007年)に122出場で53ゴールを挙げ、1年帰国してからJリーグへ復帰する。ルーカス、山崎雅人と播戸竜二に加え、今年のフォワード陣は有り余るほどの人材がある。

 

フォワード陣の破壊と創造に関しては、西野監督の履歴に疑う余地がないが、守備陣は別の問題である。ガンバはもちろん堅守というより、相手に3点取られても4点を取ろうというイメージが強いが、2005年のJ1優勝に輝いたディフェンスの後継者がなかなか見つかっていない。昨年、水本裕貴、福元洋平とミネイロが入団し期待されていたが、それぞれの理由で全くうまくいかず、3人とも同年に退団するまで、リーグ戦で合わせて僅か346分の出場時間しか得られなかった。今年のニューフェースはもう少し経験ある選手であり、特に日本代表の高木和道はディフェンスの中心として頼りになりそうである。新しく設けられた「アジア枠」の選手として、朴東赫の移籍は少し意外であり、2005年から韓国代表に選出されていないが、2008Kリーグのベストイレブンには選ばれ、2006年のA3チャンピオンズカップでガンバに6対0と圧勝した蔚山現代ホランイのスタメンの1人だった。

 

しかし、オーストリアのレッドブル・ザルツブルクから帰国する、宮本恒靖の移籍先はガンバ大阪ではなく、関西ライバルのヴィッセル神戸である。ユースから15年にもわたったガンバ時代にスポンサーや大勢のファンには愛されていたが、代表のために力を温存するという声もあり、ジーコジャパンのキャプテンを務めながらもクラブでスタメン落ちのときもあった。海外で挑戦した日本人選手がJリーグに戻ると古巣へ復帰するケースが多いが、大黒将志も東京ヴェルディに行ったし、西野監督は宮本にもう一度チャンスを与える可能性がそもそも低かっただろう。

 

宮本のオーストリア挑戦は大成功でもなく、失敗でもなかったが、ヴィッセルに移籍したきっかけは間違いなく、ACL出場権を獲得したいという、クラブやオーナーの決意だった。この目標に向けて他にも、離脱したレアンドロと大久保嘉人の穴を元日本代表の我那覇和樹と元ベンフィカのマルセウで埋めるなど、選手の出入りは活発である。今年の市場は関西以外では熱いとは言えないが、私の意見で最も目立つのはダヴィが名古屋グランパスへ移籍したことである。ダヴィは昨年、勝点18で最下位のコンサドーレ札幌で(第33節の名古屋戦も含め)16得点も取ったが、グランパスでは小川佳純のアシストにも恵まれ、ACLの舞台でも更なる活躍を期待できるだろう。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


サンタとサッカー

2009/01/13(火)

クリスマスと言えば、やはりローストターキーとスタッフィング(挽き肉などの詰め物)。これはイギリス人にとって、食べていない人は世の中にきっといないと思ってしまうほど、揺るぎないイメージであるが、実際にはキリスト教の影響をあまり受けていない日本はもちろんのこと、欧米の国もそれぞれである。

 

時差ボケをお酒で解消するためにも、週末に在日外国人の友達と新年会をしたが、ノルウェイの伝統料理はターキーではなく羊の肉のようで、オランダでは126日の「シンタクラース」(聖ニコラウス祭)がメインでクリスマスは特に決まりがないようである。アメリカでさえ、ある友達によると多くの人はターキーを食べるが、自身はヒスパニック系のため、家族とメキシコ料理を食べたそうである。やはり、小さい頃からの慣れはその人なりの当たり前となるだろう。

 

イギリスでは、クリスマスのお祝いは26日の「ボクシングデー」まで続き、家族や親戚とターキーの残り物を食べる習慣があるが、サッカーカレンダーの中でも大切な1日である。ヨーロッパのほとんどのサッカーリーグは冬休みを取るが、イングランドではボクシングデーにも28日にも試合があり、むしろ最も忙しい時期となる。

 

クリスマスをゆっくり過ごせなくなる選手などには大変かもしれないが、今では考えられないことに、1957年までは25日にもリーグ戦があった。移動などの関係で、ホーム&アウェイのダービー戦が基本だったので、クリスマスデーに敗戦したチームにとって、翌日のボクシングデーは同じ相手にリベンジするチャンスとなっていたわけである。

 

クリスマスのダービー戦がなくなったにも関わらず、この季節は試合に行く文化が特に根強く、シーズンの最多観客動員を記録する場合も多いため、冬休みの支持者が多くいながらもなかなか導入しにくい。ボクシングデーの当日には、私は家族とのご飯から抜け出しテレビでスコアを確認したりしていたが、アマチュアリーグの試合はその翌日の土曜日に行われたので、真の草の根サッカーを久し振りに味わうことができた。

 

Tauntonpaulton_8

トーントン・タウン(紫)対ポールトン・ローヴァーズ、20081227

 

田舎町の地元のチーム、トーントン・タウンは現在、サウザンフットボールリーグのディヴィジョン1・サウス&ウェスト(実質8部・南西部)で残留争いに巻き込まれており、キックオフ時間の15時に夕日が既に沈みかけ、氷点下の気温の中で霜も降りていた。確かに、寒々と聞こえるかもしれないが、淡い投光照明の下で温かいボブリル(牛肉エキスのスープ)を飲みながら、229人のサポーター(これもシーズン最多)で楽しく盛り上がった。

 

年が明け、元日の天皇杯決勝戦を以て日本のシーズンが終了するが、1月の第1週末にイングランドのFAカップ3回戦が行われ、シーズンの最も「ロマンチック」なときと考えられている。なぜなら、天皇杯のようなシード制がなく、アマチュアなど下位のチームがプレミアのビッグクラブにぶつかる可能性があり、ショックな結果もしばしばある。今年、カンファレンス・ナショナル(実質5部)のバローAFCは2対1でプレミアのミドルスブラに惜敗したが、リーグ1(3部)のハートリプール・ユナイテッドがストーク・シティを倒し、同リーグのサウスエンド・ユナイテッドもスタンフォード・ブリッジで引き分けという素晴らしい結果を収め、14日に豪華なチェルシーとホームで再試合をするチャンスを獲得した。

 

トーントン・タウンは残念ながら、私が生まれる1年前の1981/82シーズン以来、FAカップの予選を1回も突破していないが、マンチェスター・ユナイテッドの試合を弟とパブで観戦することで、帰国の最後の日にもイギリスのサッカー文化を味わえた。やはり、昔の慣れは楽しい。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)


« 2008年12月 | トップページ | 2009年2月 »