名門もJ2に?
19日、コンサドーレ札幌はホームで柏レイソルに敗れ、降格が決定的となったが、その前日、日本の名門の1つも、J1での寿命が縮まったかもしれない。ジュビロ磐田は先制点を挙げはしたものの直後に追いつかれ、後半からはガンバ大阪に完全に支配され、勝てそうには見えなかった。それでも89分までゴールを何とか守っていたのだが、決勝点のタイミングはまさに、残留争いの不運だった。ジュビロより、成功歴のあるチームがこれほど危険な状況に陥った例が過去にないが、ハンス・オフト監督が言う通り、サッカーでは「どんな偉大なクラブも降格することはある」。
それでもなお、ジュビロが2009年からJ2チームになれば、劇的な失脚ということになる。2003年までの7シーズンでは、ステージ優勝を6回、年間優勝を3回も果たし、その上にナビスコカップ・天皇杯・アジアクラブ選手権のタイトルも1回ずつ獲得した、という見事な黄金時代を築いていた。2004年から優勝争いに絡むことがなくなったが、一昨年まで毎シーズン6位以内には入り、史上最低の成績を残した昨年でも、残留が危うくなることはなく、9位という結果を記録した。清水エスパルスに上回られたことでサポーターは不満を漏らしていたが、ジュビロの降格で静岡ダービーがなくなることは思いも寄らなかったことだろう。
名門クラブの中で、東京ヴェルディもJ2降格という恥に苦しんだ経験があるが、その低落はより緩やかなものだった。川崎の時代、それぞれの初開催からJリーグとゼロックススーパーカップを2年、ナビスコカップを3年連続優勝した。その後、東京に移転したのだが、結局J2に落ちた2005年まで低迷していた。2006年は最終的に7位で終了したが、去年は2度目の試みでJ1に復帰した。現在、日本一のビッグクラブと言える浦和レッズももちろん、2000年の1年だけJ2の屈辱を味わったが、これも小野伸二が僅か20歳のときで、立派な埼玉スタジアムで日本やアジアを制覇するどころか、いかなるタイトルも獲得していない時代だった。
しかし、ヴェルディと浦和が早期にJ1に戻れたからといって、ジュビロというビッグクラブが落ちた場合は、必ずしもすぐに復帰するわけではない。セレッソ大阪は2005年のJ1優勝を最後の最後に逃した翌年、何とJ2に降格してしまったが、昨年の開幕から3連敗を喫した影響もあり昇格ができず、今年も現時点で6位で、J2の所属は3年目に伸びそうである。昇格争いの相手の1つ、湘南ベルマーレも1994年のセカンドステージ準優勝と天皇杯優勝を皮切りに黄金時代を迎え、中田英寿、呂比須ワグナーや洪明甫が入団し1996年のアジアカップウィナーズカップも優勝した。しかし、その3年後に降格し、今年は9度目の試みでJ1に戻るチャンスがようやく見えてきたが、昨年までは昇格候補でさえなかった。
ビッグクラブとして、ジュビロ磐田はスター選手のイメージが強いが、万博のスコアボード表示で土曜日のスタメンを見ると、スター選手の不在がかえって目立っていた。Jリーグの当初から、ジュビロは計画的な育成方針を採用し、まさに類のない成功を収めた。まずはドゥンガやサルヴァトーレ・スキラッチの入団で補強し、そして藤田俊哉や名波浩など、若いときからこの優秀な外国人選手の下で学び成長した日本人選手をチームの中心にした。しかし、名波や中山雅史は年を取り、藤田や福西崇史は離脱し、この方針を次世代の継続的な成功へも繋げることがなかなかできなかった。Jリーグの競争がますます激化している中、名門のクラブさえ、残留が当然のこととは考えてはいけない。
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