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男子は意義を探るが女子は道を開く

2008/08/19(火)

前回の記事で述べたように、ヨーロッパの偏見にとらわれずにお盆休みのオリンピックサッカーを楽しみに迎えるつもりだったが、日本男子の「反町ジャパン」は休みと北京の開会式が始まる前にも、メダルチャンスを事実上逃してしまった。2005年のワールドユース選手権で準優勝したナイジェリアと、2大会連続(2006年・2007年)のU-21欧州選手権で優勝したオランダと同じグループBでは、開幕のアメリカ戦こそ勝利し勝ち点3を取るのが、不可欠だっただろう。しかし、0対1で惜敗した結果、グループリーグの突破は非常に克服し難いことになり、結局3敗で期待外れの敗退になってしまった。

 

アメリカは第2戦でも、ロスタイムに同点に追いつかれるまでオランダにも辛い敗北を負わせそうだったので、その実力は日本やグループの相手に少し軽視されていたかもしれない。確かに、日本は第2試合からパフォーマンスを多少上げることはできたが、ナイジェリア戦では豊田陽平のゴールでしばらく生き残りながらも結局同点に繋げられず、最後のオランダ戦でも引き分けに持ち込めそうなところに惜しいPKでまた0対1で負けてしまった。

 

内容にもかかわらず、決勝トーナメントに進出できず、グループの最下位で勝ち点0という成績はもちろん、日本にとって恥ずかしい失敗だった。しかし、それより顕著な問題は、フォワードの得点力不足である。このオリンピック大会ではチャンスを逃さなければ結果が大幅に変わったかもしれないが、この問題の核心は、同じような現象が日本にとって珍しくないということにある。世界の舞台で挑戦する上で、日本代表チームはこういった得点力不足や世界レベルのストライカーの不在で苦しんだことが何度もあるが、今回のU-23の選手が将来を担う世代なので、この問題は簡単には解決されないだろう。

 

ほとんどのオリンピックスポーツとは違い、サッカーでは金メダルが究極の実績ではなく、世界一を決めるのはワールドカップであるが、このことも前回で触れた、ヨーロッパでの無関心の大きな理由である(イギリスで有名な「Football365」というウェブサイトはそのゆえにオリンピックの結果さえ掲載するのを拒否した)。日本をはじめとして、ほかの国や地域では盛り上がることから、私も北京のサッカーを楽しみに迎えていたが、やはりU-23中心の大会として、その最も大事な意義はこの経験をいかに将来のさらなる発展に繋げるかということである。日本の男子は残念ながら、国の刺激となるメダルパフォーマンスにはほど遠かったが、このオリンピックは有意義だったと言えるように、日本のサッカーと参加する機会を得た選手は悔しい経験から教訓を学ばなければならない。

 

もちろん、女子サッカーの競技は、意味の面でも日本にとっても正反対であり、日本全国はまだ大いに興奮している。男子とは異なり、女子の競技では年齢の制限がなくフル代表チームが出場するため、ワールドカップと肩を並べて真のチャンピオンを決める大会なので、「なでしこジャパン」のパフォーマンスは称賛に値する偉業である。日本の女子サッカーはほんの8年前、シドニーオリンピックの予選敗退とLリーグからのチーム脱退という危機に直面していたし、過去の世界舞台でのベスト成績は準々決勝(オリンピックとワールドカップ、1回ずつ)だったが、木曜日の3位決定戦ではドイツと対戦し見事な銅メダルへ挑戦する。女子サッカーはいつも男子の影に存在しているかもしれないが、今年のなでしこジャパンは国民の心をとらえており、世界中にも評価すべきことを達成している。

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