« 有意義な実験 - スルガ銀行チャンピオンシップ | トップページ | 男子は意義を探るが女子は道を開く »

五輪サッカーの表裏

2008/08/06(水)

いつもそうであるが、少し違和感がすることに、8日に行われる開会式よりも先に、北京オリンピックのサッカー競技はいよいよ、6日(女子)と7日(男子)からスタートする。日本の各テレビ局や新聞、雑誌などのメディアにも、オリンピックサッカーが特集されており、本大会前の親善試合も満員の盛り上がった雰囲気に包まれた。サポーターは反町ジャパンのメンバーについて熱心に議論し、普段はサッカーを見ない人でも「今年はメダル獲りか!?」とドキドキする。つまり、ワールドカップや各大陸選手権のように、まるで大きな国際サッカー大会を迎えている。

 

一方、ヨーロッパのマスコミや人々も北京オリンピックを楽しみに待っているが、サッカーについての話はほとんどなく、ニュースを探しても話題になるのは面倒なことだけである。現地のリーグシーズンの開幕やチャンピオンズリーグの予備選に重なることを理由に、FCバルセロナはアルゼンチン代表のリオネル・メッシのオリンピック出場に反対している旨をスポーツ仲裁裁判所(CAS)へ上訴している。ドイツのシャルケとヴェルダー・ブレーメンも同様な手段を取り、レアル・マドリードはけがの懸念を理由にブラジル代表のロビーニョの出場をきっぱり辞退した。「国際大会だからルールだ」と唱えるFIFA側と、「正式カレンダーとは関係ない」と訴えるクラブ側との論争は続くが、選手がいなくなったチームとそのサポーターは「仕方がない」しか言えず、喜んで受け入れる場合は少ないだろう。

 

イギリスはもちろん、特に複雑な例である。UEFA U-21欧州選手権2007のベスト4の1つとして、厳密にいえばイングランドのサッカー代表チームも北京オリンピックの出場権を獲得したはずであるが、オリンピックではスコットランド・ウェールズ・北アイルランドの3カ国も含んでイギリスとして参加するため、サッカーの出場権は5位のイタリアに譲った。FAがアマチュアとプロの区別を廃止した1974年までは、イングランドのアマチュアチームがイギリスを代表しオリンピックにも参加し、1908年と1912年の大会には金メダルも受賞したが、予選で敗退したミュンヘンオリンピック(1972年)は最後の参加となった。イギリスのサッカーは今なら、オリンピックとは別物のように感じる。

 

2012年のロンドンオリンピックに向け、イギリス・オリンピック委員会は現在、サッカー代表チームを特別に作る企画を掲げている。しかし、スコットランド・ウェールズ・北アイルランド側は、サッカーの独立性を失いたくないと反対しており、当初はこの独立性を保障していたFIFAのゼップ・ブラッター会長もさすがにコロッと態度を変えているようである。ラグビーの「ライオンズ」のようなチームができると、サポーターは確かに興奮するが、この距離は簡単には埋められないだろう。

 

日本での考え方はもちろんイギリスの考え方と正反対であり、オリンピックは日本サッカーの歴史にとって最も大事な大会とも言える。1936年のベルリンオリンピックでは、日本代表が初出場でスウェーデンに見事な逆転勝利を記録し、戦後の復興期にも、1956年のメルボルンオリンピックに出場した。ドイツ人のデットマール・クラマーの指導で、1964年の東京オリンピックではベスト8まで進出し、またその4年後のメキシコシティオリンピックでは、釜本邦茂が得点王となり日本は銅メダルを獲得した。最近でも、1996年のアトランタオリンピックではブラジルを敗れて経験を得た多くのメンバーはその2年後、日本にとってワールドカップの初出場も果たした。2008年は4回連続の出場となり、日本の選手は先輩の足跡をたどり、五輪でもフル代表でも活躍していくことが期待されている。

 

地元のチームが出場するにも関わらず、オランダの最も高い読者数を誇る「De Telegraaf」新聞の月曜日のスポーツ欄を見ても、オリンピックサッカーに関する記事は小さなニュースを探さなければ見当たらなかった。この時代に来て、ヨーロッパの態度が変わる可能性が低いが、それでも16参加国のうち12カ国もヨーロッパではないので、日本のように前向きに戦ってもらえると、活気ある雰囲気や面白いプレーが期待できるだろう。母国の無関心にとらわれず、私も郷に従って、メッシやアレシャンドレ・パト、そしてもちろん安田理大などの活躍を楽しみに見るつもりである。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 五輪サッカーの表裏:

コメント

コメントを書く