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2008年8月

われわれのダービー

2008/08/29(金)

セレッソ大阪のサポーターは恐らく、連勝・連敗の明暗によく慣れているだろう。当初の優勝候補ではなかった2005年のチームは、後半戦で7連勝も含む16試合負けなしを記録し、一気に首位に上がったが、最終節の「長居の悲劇」まで3試合連続の引き分けで結局タイトルのチャンスを逃してしまった。その翌年は反対に、夏の中断前後、7連敗も含む12戦続けて勝ち星のなかったセレッソは突然、残留争いに巻き込まれ、最後の5試合でまた1回も勝てずJ2に落ちることになってしまった。今年の春もまた、7連勝でようやくJ1に戻れそうだったが、それ以来の14試合ではわずか勝点12しか取れておらず、昇格のチャンスが危うくなっている。上位2チームのサンフレッチェ広島とモンテディオ山形が絶好調の中、入替戦対象の3位争いは、J1の残留争いのようにますます激しくなっている。

 

ガンバ大阪の応援団の一員として、私の周りには反セレッソ感情が多いことはいうまでもない。200511月、不調なガンバが一度セレッソに上回られたとき、応援団長などとご飯を食べたが、「優勝を逃せばもちろん悔しいけど、もしあいつらがチャンピオンだったら本当に最悪」というのが全員の意見だった。結局、長居の悲劇はガンバにとって奇跡だったが、その翌年のダービー戦で、ガンバのファンは西澤明訓の涙を記念したTシャツを着て、「セレッソ泣いたろう」と相手をあざけることになった。同年の最終節、ガンバと浦和レッズの優勝決定戦のときでも、「俺達V2 セレッソJ2」という目的を横断幕にしたサポーターは、故郷のライバルを忘れていなかった。

 

しかし、浦和の優勝シーンを見て苦しみ、セレッソが落ちたというニュースは最初は元気付けだったが、帰りのバスでは、ダービーがなくなるという実感が湧いた。毎年のこの2試合はやはり、それぞれのチームの調子にも関わらず皆が楽しみにするもので、年始にシーズン日程が発表されるとほかにどの試合よりも先に確認する日にちだった。スコアボードの表示でセレッソが負けたことが分かると、今でもライバルに笑うのが相変わらずであるが、最近は足りないものを痛感しながら、この笑みの中に少し悲しげなものもある。

 

関西地方にはプロサッカークラブが4つあり、セレッソの降格と同じタイミングでヴィッセル神戸がJ1に再昇格したので、ダービー戦が完全になくなったわけではない。とはいえ、このいわゆる「関西ダービー」でも盛り上がるが、やはり同じ大阪同士ではないため、本物ほど熱くならないし、ガンバのファンとして先週の引き分けで最も悔しかったのは、元セレッソの大久保嘉人が同点ゴールを入れたことだった。今年のJ1メンバーでは、「ナショナルダービー」とも呼ばれる浦和レッズ戦の期待やテンションが最も高く、5月の埼玉スタジアムでは残念ながら少し高すぎたが、全国の注目に浴びながらもやはり隣人と戦うのに匹敵しない。

 

大阪は未だに、誰でもガンバかセレッソのどちらかに夢中というレベルになっておらず、それぞれのクラブ自体にも出来ていないところもあるが、この点にはまたの機会に触れてみる。とにかく、サッカーが大好きな私たちにとっては、セレッソは「REAL OSAKA」の横断幕を掲げたり、ガンバは「俺達が大阪さぁ」を歌ったり、サポーターが町の自慢する権利を競う大阪ダービーである。ガンバのサポーターには、ディビジョンの差の自慢というのもあるが、ダービーがなくてあくまでも距離を感じ、この状態が続けば続くほど残念に思う。敢えて言うが、セレッソの次の「連」が連勝になっても、ガンバ側でも少し喜ぶかもしれない。

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夏の喜び

2008/08/23(土)

変化の風で2010年からすべてが変わりそうであるが、個人的に、現行のカレンダーでは今が一番好きな季節かもしれない。ヨーロッパの2007/08年シーズンの劇的なクライマックスの後にも、徹夜の寝不足を耐えながらユーロも見られたが、それから向こうの夏休みがようやく始まっても、日本のシーズンがちょうど中断から覚めているところだった。私のように、ヨーロッパのサッカーもアジアのサッカーも見るファンには、楽しめることが春夏秋冬にもあるわけである。

 

残暑はやはり少しいやに思うが、この季節の魅力はどこにあるかというと、プレミアなど欧州のリーグがいよいよ開幕していると同時に、日本のシーズンがどんどん熱くなっているところである。今週末の第22節では、最高位の鹿島アントラーズと3位の名古屋グランパスの対戦はもちろん注目を浴びるが、その翌日にも3連敗中で最下位のコンサドーレ札幌は入れ替え戦圏内の横浜Fマリノスと直接対決し勝点差を縮めようとするので、優勝争いにも残留争いにも見どころが散在している。

 

以前にも指摘したポイントであるが、今年のJ1順位表の過密は本当に驚異的であり、シーズンの3分の2が過ぎたところまで来ているのに、首位と16位の勝点差が依然としてわずか15点しかない。その中で、上下の争いをまだ両方とも戦っているチームもあり、最終結果の予測が全くつかない状況である。ナビスコカップもACLも最終局面を迎えようとしているので、これからも期待と楽しみが膨らみ続けるだろうが、日本では全てが冷めても、イギリスのクラブはクリスマスの試合に向けて調子を上げようとしているところになるので、周期がまた回る…

 

しかし、日本サッカー協会の犬飼基昭会長が先月明らかにしたように、協会が現在検討している「秋春シーズン制」が実現されるとこの周期が消えてしまい、個人的には少し寂しいが、この制度はとっくに実行すべきである。アルビレックス新潟など、積雪地帯にあるクラブは冬のサッカーに対して反対を表明しており、それゆえに2006年をめどに移行するという元々の方針がすでに延期されているが、冬季でも利用できる会場や練習の施設が確保されたのであれば、メリットはデメリットを遥かに上回るだろう。

 

日本のシーズンをヨーロッパに合わせることによって、両方向での移籍活動がよりスムーズになるという利点が、先月の報道でよく挙げられたが、それよりも、イギリスにあるような「夏のスポーツ」と「冬のスポーツ」の間に区別をつけるとベネフィットがたくさんある。イギリスの「夏のスポーツ」というのはクリケットであるが、日本の野球も同様に、数時間かかりながらずっと動いているわけでなく、サポーターがゆっくり見るスポーツで、雨天による中断や中止もあるので、夏が最適な季節である。しかし、比較的涼しいイギリスでも、90分も走るサッカーでは夏は休みであるので、日本の酷暑の中でJリーグの選手がまだ苦労していることは、少し不思議に思う。

 

サポーターも楽になるだろうが、こういった区別の最も重要なポイントは、サッカーと野球のカレンダーをずれさせることである。もちろん、多少の重なりは避けられないが、特にそれぞれの開幕と優勝争いの時期が一致していなければ、注目やメディア露出を競う必要もなくなる。2005年の秋、ガンバとセレッソ、大阪の2チームとも最終節までJ1優勝に向けて競争していたが、町に出てみると、同じタイミングでセ・リーグで優勝した阪神タイガーズの記念グッズ、のぼりやイベントはどこに行っても盛り上がっていたが、サッカーを意識したものは少しも目にしなかった。夏は暇になってしまうが、このようなことの繰り返しがないように、ガンバの次の優勝はやはり5月に祝いたい。

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男子は意義を探るが女子は道を開く

2008/08/19(火)

前回の記事で述べたように、ヨーロッパの偏見にとらわれずにお盆休みのオリンピックサッカーを楽しみに迎えるつもりだったが、日本男子の「反町ジャパン」は休みと北京の開会式が始まる前にも、メダルチャンスを事実上逃してしまった。2005年のワールドユース選手権で準優勝したナイジェリアと、2大会連続(2006年・2007年)のU-21欧州選手権で優勝したオランダと同じグループBでは、開幕のアメリカ戦こそ勝利し勝ち点3を取るのが、不可欠だっただろう。しかし、0対1で惜敗した結果、グループリーグの突破は非常に克服し難いことになり、結局3敗で期待外れの敗退になってしまった。

 

アメリカは第2戦でも、ロスタイムに同点に追いつかれるまでオランダにも辛い敗北を負わせそうだったので、その実力は日本やグループの相手に少し軽視されていたかもしれない。確かに、日本は第2試合からパフォーマンスを多少上げることはできたが、ナイジェリア戦では豊田陽平のゴールでしばらく生き残りながらも結局同点に繋げられず、最後のオランダ戦でも引き分けに持ち込めそうなところに惜しいPKでまた0対1で負けてしまった。

 

内容にもかかわらず、決勝トーナメントに進出できず、グループの最下位で勝ち点0という成績はもちろん、日本にとって恥ずかしい失敗だった。しかし、それより顕著な問題は、フォワードの得点力不足である。このオリンピック大会ではチャンスを逃さなければ結果が大幅に変わったかもしれないが、この問題の核心は、同じような現象が日本にとって珍しくないということにある。世界の舞台で挑戦する上で、日本代表チームはこういった得点力不足や世界レベルのストライカーの不在で苦しんだことが何度もあるが、今回のU-23の選手が将来を担う世代なので、この問題は簡単には解決されないだろう。

 

ほとんどのオリンピックスポーツとは違い、サッカーでは金メダルが究極の実績ではなく、世界一を決めるのはワールドカップであるが、このことも前回で触れた、ヨーロッパでの無関心の大きな理由である(イギリスで有名な「Football365」というウェブサイトはそのゆえにオリンピックの結果さえ掲載するのを拒否した)。日本をはじめとして、ほかの国や地域では盛り上がることから、私も北京のサッカーを楽しみに迎えていたが、やはりU-23中心の大会として、その最も大事な意義はこの経験をいかに将来のさらなる発展に繋げるかということである。日本の男子は残念ながら、国の刺激となるメダルパフォーマンスにはほど遠かったが、このオリンピックは有意義だったと言えるように、日本のサッカーと参加する機会を得た選手は悔しい経験から教訓を学ばなければならない。

 

もちろん、女子サッカーの競技は、意味の面でも日本にとっても正反対であり、日本全国はまだ大いに興奮している。男子とは異なり、女子の競技では年齢の制限がなくフル代表チームが出場するため、ワールドカップと肩を並べて真のチャンピオンを決める大会なので、「なでしこジャパン」のパフォーマンスは称賛に値する偉業である。日本の女子サッカーはほんの8年前、シドニーオリンピックの予選敗退とLリーグからのチーム脱退という危機に直面していたし、過去の世界舞台でのベスト成績は準々決勝(オリンピックとワールドカップ、1回ずつ)だったが、木曜日の3位決定戦ではドイツと対戦し見事な銅メダルへ挑戦する。女子サッカーはいつも男子の影に存在しているかもしれないが、今年のなでしこジャパンは国民の心をとらえており、世界中にも評価すべきことを達成している。

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五輪サッカーの表裏

2008/08/06(水)

いつもそうであるが、少し違和感がすることに、8日に行われる開会式よりも先に、北京オリンピックのサッカー競技はいよいよ、6日(女子)と7日(男子)からスタートする。日本の各テレビ局や新聞、雑誌などのメディアにも、オリンピックサッカーが特集されており、本大会前の親善試合も満員の盛り上がった雰囲気に包まれた。サポーターは反町ジャパンのメンバーについて熱心に議論し、普段はサッカーを見ない人でも「今年はメダル獲りか!?」とドキドキする。つまり、ワールドカップや各大陸選手権のように、まるで大きな国際サッカー大会を迎えている。

 

一方、ヨーロッパのマスコミや人々も北京オリンピックを楽しみに待っているが、サッカーについての話はほとんどなく、ニュースを探しても話題になるのは面倒なことだけである。現地のリーグシーズンの開幕やチャンピオンズリーグの予備選に重なることを理由に、FCバルセロナはアルゼンチン代表のリオネル・メッシのオリンピック出場に反対している旨をスポーツ仲裁裁判所(CAS)へ上訴している。ドイツのシャルケとヴェルダー・ブレーメンも同様な手段を取り、レアル・マドリードはけがの懸念を理由にブラジル代表のロビーニョの出場をきっぱり辞退した。「国際大会だからルールだ」と唱えるFIFA側と、「正式カレンダーとは関係ない」と訴えるクラブ側との論争は続くが、選手がいなくなったチームとそのサポーターは「仕方がない」しか言えず、喜んで受け入れる場合は少ないだろう。

 

イギリスはもちろん、特に複雑な例である。UEFA U-21欧州選手権2007のベスト4の1つとして、厳密にいえばイングランドのサッカー代表チームも北京オリンピックの出場権を獲得したはずであるが、オリンピックではスコットランド・ウェールズ・北アイルランドの3カ国も含んでイギリスとして参加するため、サッカーの出場権は5位のイタリアに譲った。FAがアマチュアとプロの区別を廃止した1974年までは、イングランドのアマチュアチームがイギリスを代表しオリンピックにも参加し、1908年と1912年の大会には金メダルも受賞したが、予選で敗退したミュンヘンオリンピック(1972年)は最後の参加となった。イギリスのサッカーは今なら、オリンピックとは別物のように感じる。

 

2012年のロンドンオリンピックに向け、イギリス・オリンピック委員会は現在、サッカー代表チームを特別に作る企画を掲げている。しかし、スコットランド・ウェールズ・北アイルランド側は、サッカーの独立性を失いたくないと反対しており、当初はこの独立性を保障していたFIFAのゼップ・ブラッター会長もさすがにコロッと態度を変えているようである。ラグビーの「ライオンズ」のようなチームができると、サポーターは確かに興奮するが、この距離は簡単には埋められないだろう。

 

日本での考え方はもちろんイギリスの考え方と正反対であり、オリンピックは日本サッカーの歴史にとって最も大事な大会とも言える。1936年のベルリンオリンピックでは、日本代表が初出場でスウェーデンに見事な逆転勝利を記録し、戦後の復興期にも、1956年のメルボルンオリンピックに出場した。ドイツ人のデットマール・クラマーの指導で、1964年の東京オリンピックではベスト8まで進出し、またその4年後のメキシコシティオリンピックでは、釜本邦茂が得点王となり日本は銅メダルを獲得した。最近でも、1996年のアトランタオリンピックではブラジルを敗れて経験を得た多くのメンバーはその2年後、日本にとってワールドカップの初出場も果たした。2008年は4回連続の出場となり、日本の選手は先輩の足跡をたどり、五輪でもフル代表でも活躍していくことが期待されている。

 

地元のチームが出場するにも関わらず、オランダの最も高い読者数を誇る「De Telegraaf」新聞の月曜日のスポーツ欄を見ても、オリンピックサッカーに関する記事は小さなニュースを探さなければ見当たらなかった。この時代に来て、ヨーロッパの態度が変わる可能性が低いが、それでも16参加国のうち12カ国もヨーロッパではないので、日本のように前向きに戦ってもらえると、活気ある雰囲気や面白いプレーが期待できるだろう。母国の無関心にとらわれず、私も郷に従って、メッシやアレシャンドレ・パト、そしてもちろん安田理大などの活躍を楽しみに見るつもりである。

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有意義な実験 - スルガ銀行チャンピオンシップ

2008/08/01(金)

第1回大会が水曜日の夜、大阪の長居スタジアムで行われたスルガ銀行チャンピオンシップは、Jリーグが世界へ挑戦する取り組みの一環である。2003年から中国・韓国・日本のクラブが競ってきたA3チャンピオンズカップは現在、賞金未払いやスポンサー未定というような問題に囲まれ、将来性が問われているが、そういったことにとらわれず、日本サッカーのさらなる発展のために国際試合で戦える機会をどんどん作っていこう、というのはJリーグ・JFA側のビジョンである。

 

ACLではますます成果を出しており、FIFAクラブワールドカップももちろんアジアと開催地の代表にも出場権が与えられるようになったが、それにとどまらず、今年から南北米のトップチームと対決できる新しい大会が2つも創立された。2007年のヤマザキナビスコカップのチャンピオンとして、ガンバ大阪がその両方で日本を代表することになった。

 

2月のオフシーズンにハワイで行われた、パンパシフィックチャンピオンシップとは違い、スルガ銀行チャンピオンシップ2008はガンバにとってシーズンの厳しいスケジュールの途中だったので、ただの親善試合になってしまう可能性が回避された。しかし、ヤマザキナビスコカップとコパ・スダメリカーナの両チャンピオンが対決する大会として、優勝の意義が疑われ少し課題となった。ガンバはリーグでは王者ではなかったし、(南米サッカージャーナリスト、フィル・ヴィッカリー氏がBBCのコラムで指摘したように)南米のチャンピオンズリーグと言えるのはコパ・リベルタドーレスで、評判がそれほど高くないコパ・スダメリカーナの優勝者を「南米王者」と呼ぶのは少し不適切だからである。

 

この優勝者のアルセナルも、6月に終了したアルゼンチンのクラウスーラ(後期リーグ)では10位にしかならず、日本で知名度が高くない。しかも、長居スタジアムは確かにこのような国際試合には最適な会場ではあったが、多くのガンバサポーターの職場や住まいは北大阪というのもあり、平日の19時キックオフで何人が南部まで行くのかも不確かだった。

 

結局、スタジアムに集まったのは19000人ほどで、収容人数の半分にも満たなかったが、逆に、26日に万博で行われた大分トリニータ戦よりも2000人ぐらい多い人数だった。万博より音響効果が遥かに優れている会場で、雰囲気も盛り上がっていたが、サポーターも最近苦労しているリーグ戦とは異なり、よりゆっくり楽しめるような気分転換だった。

 

西野監督はガンバらしく攻撃していきたいとアピールしたが、堅守な相手、キーパーのマリオ・クエンカに難しい仕事をさせることがあまりできなかった。イングランドのフラムで稲本潤一のチームメートでもあった、ファクンド・サバのシュートでガンバが危なかったときはあったが、この試合は始終、少し内容に欠け、0-0で終わり勝負がPK戦で決められてもおかしくなかった。しかし、山崎雅人に代わって倉田秋という交代で中盤を強化し支配率をあげたとはいえ、セットプレーが大きな特徴と西野も認めたアルセナルは86分、コーナーキックからカルロス・カステグリオネがようやく先制点を決め、アルセナルが1-0で初代チャンピオンとなった。

 

私にとってこの試合で印象的だったのは、アルセナル選手の大喜びのシーンだった。やはり、国内ではタイトルを1回も獲得したことのないチームとして、去年のコパ・スダメリカーナに続いて国際舞台でまた優勝するのが大きかったというのもあり、18000キロの旅や大阪の暑苦しさを見事に乗り越えたので、ピッチを一周してガンバのファンからも大喝さいを浴びた。名門で大きなタイトルに慣れているリバー・プレートやボカ・ジュニアーズなら、観客は確かに集まるが、勝利が恐らく当たり前と感じてしまうので、アルセナルが大会を大切にしていたこの証しは、スルガ銀行チャンピオンシップの将来にとって非常にいいことかもしれない。

 

試合後のコメントで、力が足りなかったことを嘆いた西野監督にとっては、ストライカーの問題がまた明らかだったが、若い選手に貴重な体験をさせることに関しては満足したはずである。より広い視点で見ると、マッチプログラムでJFAの犬飼会長とJリーグの鬼武チェアマンが述べたように、こういった国際試合を通じて日本サッカーのレベルアップに繋げるのが最も大事なことである。こういった成果はもちろん、これからの様子を見る他はないが、少なくとも選手にとって学ぶことが多く、サポーターにとってもいつもとは違うサッカーが味わえるという意味で、この大会は前向きで有意義な実験だろう。

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