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2008年7月

バレーがいなく、ゴールがない

2008/07/28(月)

ボールが奪われてルーカスも倒されたように見え、大分トリニータの決勝点に議論もあったが、バレーの突然の離脱を受け、ガンバ大阪が土曜日に負けた原因は、予想外ではなかった。20日のジェフユナイテッド千葉戦に続いて、フォワードプレーが焦点に欠け、ハーフタイムの交代で徐々にリズムをあげたとはいえ、決定的なチャンスにはなかなか繋げられなかった。こういったシーンに慣れていないホームサポーターは、「西野、動け!」と監督へ不満を訴えたが、ベンチにも経験の少ない若い選手ばかりで、明白な解決法がなかった。これがゲームだったら、何度も再起動しやり直して、結果が出るまでフォーメーションや組み合わせを試してみたい、というような試合だった。

 

バレーとルーカスのコンビは結局わずか半年も続かず、まだ完璧にできていなかったが、最近は有望な兆しを示し始めたので、シーズンの途中というバレーの移籍は、ガンバにとって非常に残念なタイミングだった。千葉戦までの18リーグ戦では、2人とも全試合にスタメンとして出場し、合わせて16得点を挙げたが、ルーカスの6ゴールのうち、第12節の横浜Fマリノス戦からの8試合では4点も決められた。開幕のときはニューフェースだったが、同国人のパートナーの不在で、ルーカスは今からメインな役を務めざるを得ない。

 

ガンバとしては、今年はオフシーズンのメンバー入れ替えが比較的に多かったため、チーム作りが最初から課題となっていたが、バレーの不在をカバーするというのは、少し突発で厄介な問題である。山崎雅人は千葉戦の土壇場でチームを救ったが、プロ5年目で通算5得点という成績はメインストライカーとして監督に自信を呼び起さず、土曜日もまたベンチ入りだった。大分戦のハーフタイムに交代された平井将生も、この45分も含めて97分の出場経験しかない。ケガ、病気、五輪代表といった様々な関係で、今年のガンバは恐らく西野監督の計画よりもユース出身などの若い選手に頼ることが多く、このユース体制は確かに誇りに思うべきことだが、リーグと悲願のACL優勝に向けて挑戦している中、監督の次の布石は非常に大切である。

 

攻撃的で比較的に安定したチームとして、ガンバのフォワード人材の回転率が不思議と高いので、西野監督はこの移籍市場に経験が十分ある。82得点も挙げて優勝を掴んだ2005年シーズンの後、フォワード陣から4人(アラウージョ、大黒将志、吉原宏太、松波正信)もいなくなったが、マグノアウベスや播戸竜二の加入で2006年も80得点というほぼ同じ成績を記録した。フェルナンジーニョがそれから清水エスパルスに行った後も、バレーがヴァンフォーレ甲府から入り、1年目の2007年シーズンに20点を挙げ、得点ランキングの2位だった。すでに日本で活躍しているブラジル人をうまく選べることは西野の特徴であるが、今年は新しい選手の活かし方やフォーメーションでも悩んでおり、まさかの得点力不足も露呈されているので、今回も正しい選択が求められている。

 

アラブ首長国連邦(UAE)のアル・アハリに移籍するバレーは、マグノアウベス(現:アル・イテハド、サウジアラビア)に続いて、ガンバの選手として中近東のお金に引かれてしまった2人目である。ヨーロッパへ挑戦した大黒とブラジルに帰ったアラウージョのように、明らかにキャリアのために移籍する場合はサポーターに許されるが、Jリーグより強いとは言いがたいところに行ってしまうと、少し困惑させられる。日本のサッカーにはもちろん15年前みたいな、世界のスターを引き寄せるお金もなく、マンチェスター・ユナイテッドのクリスティアーノ・ロナウドとそのイングランド人チームメートの違った姿勢からも分かるように、自分の母国でないとチームへの忠誠心も生まれにくいかもしれない。しかし、去年バレーに対してフランス1部の2チームからオファーもあったので、さらにチャレンジできる道がなかったわけではなく、この傾向が少し残念だと思う。

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ようやく引っ越し?

2008/07/23(水)

先日、ガンバ大阪の新スタジアムについての報道と、その後のクラブ側の発表は、サポーターを興奮させ、大いに期待させられるニュースとなった。埼玉や鹿島の高級スタジアムはもちろん、磐田や柏の小さいながらのサッカー専用スタジアムでも羨ましく見るサポーターは、より現代的な施設に対して古くから希望を抱いているが、クラブ側はようやくその要請を受け、「今年よりこの『新スタジアム』建設を最重要課題」としている旨を発表した。

 

言うまでもなく、このニュースにはより多面的な背景もあった。国際試合を開催する際のFIFA基準が2011年から厳しくなり、クラブ側の発表にも述べてあるように、万博記念競技場は現時点で収容人員、観客席の屋根、常設ドーピング室など、満たしていない条件が様々ある状況である。この数年、ガンバ大阪は浦和レッズと鹿島アントラーズと共に、日本の3強の一角を占めてきたが、これからも発展しACLで日本を代表し続けるためには、サポーターとチームが誇りに思えるホームスタジアムの建設は急務である。

 

ある意味では、ガンバ大阪は境遇の犠牲者ともいえる。オリジナル10の1つとして、Jリーグ発足の頃にガンバが唯一の関西クラブだったし、他にも地元の多目的のスタジアムをホームにしたクラブがあったのだが、リーグの拡大とワールドカップ開催決定に伴う建設・増設で、世界的に通用する施設が各地に現れ、関西ではセレッソ大阪とヴィッセル神戸がその利用権に恵まれた。しかし、これはもうかなり昔話で、率直に言えば万博は今ではJ1のなかでもレベルの低いスタジアムの1つになっているので、ジェフユナイテッド千葉がフクアリというサポーターにやさしいサッカー専用スタジアムへ移転したように、ガンバも新ホームを探すときがとっくに来ている。

 

ガンバがターゲットとしているホームタウンに少し曖昧さがあり、ホームページによるとスタジアム建設可能候補地を「ホームタウン重点4市である吹田市・茨木市・高槻市・豊中市」で検索をしてきたが、報道で挙げられた「エキスポランド」は理想的な立地である。現在のスタジアムとすぐ隣ということで、すでに根付いている場所であり、(イギリスのサッカー文化とは比較にならないかもしれないが)アーセナルがハイバリーからエミレーツ・スタジアムへ移転したときのように、ホームという感じが失われないことはサポーターにとって大きい。交通や駐車施設も現在と同じく、エキスポランド側も含んで、関係各方面にも有益なことになるだろう。去年12月から休園中の同遊園地は、人身事故の悲劇以外にも、事故やトラブルの連発で信頼を遥かに失墜してしまい、ほぼ仕切り直すしかない状況で、この引っ越しは大歓迎だろう。

 

ガンバのサポーターの中で、万博に対する愛着ももちろんあり、個人的に私は工事前の芝生がとても懐かしいが、仕事帰りで行く秋の夜の試合など、ゴール裏の立見席で寒い雨に降られて服も濡れたり風邪も引いたりすることがあると、確かにいつも「屋根ぐらいは作って欲しいなぁ」と不満や文句を言う。過去にも、JR茨木駅前というような移転先の提案やうわさもあったので、決定の発表に至るまでは高望みをしないほうが良いかもしれないが、今回こそ、是非とも実現させてもらいたいだろう。ガンバの発表の中、「ガンバ大阪ファン&サポーターの皆様、そしてホームタウン地域の皆様に新スタジアムを自分たちのスタジアムとして愛着を持っていただける…」ということも掲げているので、サポーターの声も良く聞いて、この皆様の長く抱いている期待に早く応えて欲しい。

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エンタテインメントのオッズ

2008/07/17(木)

先日、休憩をしながらイギリスのオンラインスポーツ記事を読んでいたら、ある賭け屋の広告に目が奪われた。来シーズンのプレミアリーグからリーグ2(実質1部~4部)のチャンピオンを1つずつ選ぶと、繰越投票のオッズが自動的に計算される、というものだった。私の予想を記入してみたら、10ポンド(約2200円)だけで1806ポンド(約226万円)も当たるよ、という魅力的な情報が表示されたが、誘惑に耐えてお金を賭けなかった。数字に興味があるので、ほかの組み合わせも試してみたりしたが、優勝候補以外のチームを見ると、驚くべきことに気付いた。2部のチャンピオンシップからプレミアリーグへ昇格したハル・シティとストーク・シティの優勝オッズは、繰越ではなく単一の投票の場合でも、7500:1にもなっている。

 

20チームのリーグでは、そんなに無理なのか?!ウィガン・アスレティックのゴールキーパー、クリス・カークランドが11歳のとき、その父親は息子が30歳になるまでにフル代表チームに出場することにお金を賭けたらしいが、そのときのオッズは100:1に過ぎなかった。サッカーと関係のないコンテクストを見ても、例えばエルヴィス・プレスリーがまだ生きているというようなことでも、賭け屋のオッズはだいたい1000:1という。こういった有り得ないとされたことよりも、ハルとストークの優勝する確率が7.5倍も低いと考えられているわけである。賭け屋によると5番手のトッテナム・ホットスパーさえ、優勝が66:1で、2・3・4部のそれぞれの最低チームよりも低いオッズである。

 

しかし、現実を見ると、確かにオッズ通りであろう。シーズンが始まる前にも、チャンピオンズ・リーグの出場権を得るのは去年と同じ上位の4チームになることがほぼ確実だろう。ちょうど30年前、偉大な監督、ブライアン・クラフが指導したノッティンガム・フォレストは昇格した翌年に1部優勝も達成して、1989-90年に昇格したリーズ・ユナイテッドもその2年後に1部で優勝した。それから、1994-95年の当時としてはお金持ちのブラックバーン・ローヴァーズの優勝でも昇格の3年後だったが、そんなことが可能な時代はもう去ってしまった。お金がその最大な原因となったことは言うまでもないが、4強のサポーターも含んで、イングランド人のサッカーファンにとって少し情けない現状である。

 

これに対して、日本のJリーグを見ると、今年の競争の厳しさが信じられない程度になっている。シーズンの前半戦は今夜(木曜日)を以て既に終わるところであるのに、上位集団がまだ形成されておらず、首位の鹿島アントラーズと(入替戦対象の)16位の横浜Fマリノスとの勝点差が僅か13点しかない。第17節の試合が木曜日となった川崎フロンターレは水曜日の結果で現在11位に下がっているが、等々力で清水エスパルスを破れば5位まで上がり、逆に負けるとさらに14位まで下がってしまう可能性もある。1日でそれだけの左右が起こるとクラブにとってプレッシャーが重くのしかかり、サポーターも緊張してしまうが、非常に面白いということは否定できない。

 

先月の見事なユーロ大会では世界最高レベルのサッカーを見てから再開したJリーグのスタジアムに戻ったサポーターの中、「日本のサッカーはまだまだだなぁ」という悔しそうな声もあった。怪我人やメンバー入れ替えに悩み(レッズの場合は監督交代にも)、今までは鹿島・浦和・G大阪ともそれぞれどうしても勝てなかったときがあって、今年は一貫して素晴らしいチームが確かにまだ1つも目立っていないと言える。しかし、ACLのベスト8にJリーグ代表が3チームとも出ることが決まっており、国内では多くのチームがこういったアジアトップチームと並ぶレベルで戦えるようになったことは、日本のサッカーの全体的な進歩の証だろう。

 

イングランドのプレミアリーグは何と言っても、レベルも高く攻撃的なプレーも面白いので、人気が下がる心配がないが、お金にまだそれほど乱されていないJリーグのレベルも上がりつつ、競争もどんどん厳しくなっているので、こういう意味で日本のサポーターは恵まれていると思う。予測ができないことこそがこのリーグのアピールで、後半戦に入ってからも、ハイテンションの優勝争いと残留争いを見るのを楽しみにしている。

 

(因みに、ハル・シティと2・3・4部のそれぞれの最低チームに繰越投票で10ポンドを賭けると、当たれば64憶ポンド(約1.34兆円)以上になるようである。誘惑はするが、全額をちゃんと払ってくれる可能性がさらに低いだろう…)

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昔のヒーローの思い出 - 大黒将志のJ1復帰

2008/07/12(土)

2003年の秋、大阪外国語大学(現:大阪大学の外国語学部)の留学生として来たとき、日本のサッカーのことが知りたく、応援するチームを探すことは当然なことに優先事項の中で高かった。18歳の頃、ユニバー記念競技場でヴィッセル神戸の試合を1度見たことがあったが、愛着はまだなかったので、まずは関西地方の4チームのそれぞれのホームゲームに行って、雰囲気を味わってみることにした。長居と神戸ウイングも面白い経験だったが、やはり万博に行ったら、応援団の人が前へ呼んでくれて、そこで当時の芝生の熱い応援にすぐ惚れてしまった。偶然なことに、万博は寮の窓から首を出すと見えるほど近かったというのもあり、次の試合も(サンガのサポーターには申し訳ないが)遠い西京極まで行く代わりに、またガンバを見ることにして、留学の終わりまで1回も欠席せず、全試合を見ながら今の愛着が湧いてきた。もちろん、この頃は大黒将志がちょうど輝き始めていた時期だった。

 

コンサドーレ札幌への期限付き移籍が終わり、地元のガンバへ戻ってきた大黒の2002年は、マグロンがメインストライカーでよく吉原宏太とツートップを組んでいたため、大黒の出場するチャンスがしばらく少なかったが、その翌年から、中盤とベストポジションのフォワードでスタメンに入り、実力を見せ始めた。絶好調だったマグロンは監督の引き立てを失ったが、大黒はさらに底力を発揮し、中山悟志やニューフェースのフェルナンジーニョと組みながら、2004年のJ1には日本人選手最多の20得点も挙げ、私の意見ではチームの最も代表的な存在になった。

 

私はイギリスに帰った後も、日本代表チームに早く呼ばれて欲しいと大学の友達に話し続け、飽きられてしまいそうだったが、ようやくあの北朝鮮戦の勝ち越しゴールニュースを聞いたら、外国人の私でも誇りに思った。そのシーズン、2005年は結局大阪で最後となったが、大黒はアラウジョと見事なツートップを成し、この2人はリーグで合わせて49得点も記録し、餞別としてガンバの初制覇に大きく貢献した。この運命のシーズンの途中からタイミングよく大阪に戻ってきた私にとって、この時代のガンバはもちろん非常に懐かしく思い、大黒の海外挑戦も応援していたが、帰国するならガンバに戻ってくれるのが当然だ、と思っていた。このような思いがあったからこそ、東京ヴェルディに移籍してしまったというニューズは、ずいぶんショックだった。

 

本人のブログを見ても、寂しいガンバのサポーターからコメントが多くあって、大黒選手自身も懐かしそうな言葉を言ってくれたが、まあ、少なくても嫌いな敵チームには行かなくて良かった。大阪vs.東京の東西ライバルというのもあり、ガンバが弱かったときには当時の名門に対してある程度の嫌味もあったが、今なら立場が逆転したので、ガンバのファンはヴェルディのことにほぼ無関心で、今回の移籍は悔しいながら、比較的に平気かもしれない。1995年、マンチェスターユナイテッドのファンに愛されていたポール・インス選手が大敵のリバプールに移籍したとき、中学2年生の私は少し涙が出てしまった。セリエAのインテルに行っても人気が下がらなかったが、それから大きなライバルに入ってしまうと憎むしかないし、ユナイテッドに対して同点を入れたインスの大喜びを見るのが、正直に言うとつらかった。もし大黒選手も、浦和やセレッソに移籍したとすれば、同じことだろう。

 

ガンバのメンバー入れ替えが比較的に少ないので、かつての選手と対戦することはあまり頻繁にない。2005年の優勝に貢献した選手を調べてみると、3選手(入江徹、實好礼忠、松波正信)がガンバを退団したら完全に引退したし、宮本恒靖も大黒のように海外へ行き、また3選手(森岡茂、渡辺光輝、三木良太)がJ2以下のチームに移籍して対戦する機会がなかった。J1同士の相手に移籍した場合でも、(何故かいつも京都サンガかオレンジ色のチームになるが)今年から京都に移籍したシジクレイは1敗、京都・清水エスパルスの児玉新は1勝4敗、アルビレックス新潟の松下年宏は1分2敗というように、その選手がガンバ戦での成績が良いとは言えない。今年の3-2での逆転勝利では、大宮アルディージャの吉原宏太はガンバに対して初ゴールを挙げたが、それまでは2006年の移籍から無得点・無勝ち点だったので、やはり実績を残しているのはブラジル人のフェルナンジーニョだけと言って良いだろう。クラブや監督に捨てられたとも言われたが、去年清水に移籍して、万博では引き分けの同点も決め、日本平では3-1の勝利で追加点も挙げたので、リベンジが十分できた。

 

しかし、私に少し偏見もあるかもしれないが、上記の選手よりも、大黒選手との直接対戦のほうが、ガンバにとって危ないと思われる。トリノでは活躍する機会があまりなかったので、また日本で復活し、昔のチームにまだ愛着を持っていると言っても、ガンバとの試合では特に実力を見せたがるだろう。ヴェルディでのプレーでも応援できるかどうかは、ガンバの優勝争いを邪魔しない限りだが、とにかく928日の味の素スタジアムは楽しみにしている…

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イメージが全て

2008/07/07(月)

日本で留学していた頃、少し落ち着いて大阪の生活に慣れてきたら、同級生と一緒に(ちゃんと学生らしく)梅田や難波で良く遊んだりした。たくさんの飲み会に参加した中で、ある日のパーティーはちょっと不思議なハプニングで、これまでずっと記憶に残ってきた。私のことに興味があると、ある同級生がその友達も呼んでいたが、可愛い女の子ではなく、シンガポール出身の男の人ということで、ずいぶん期待外れとなった。とにかく、この人は私と隣の椅子に座って、ニコニコ笑いながら言った。

「ベンさんは、オックスフォード大学ですね。あなた、すごい人間でしょう。」

初対面でこんなことを率直に言われて困っていた私は、会話で納得させるように頑張ったが、居心地があまりに悪くて、正直、早く別の相手と飲みたくなった。

 

今振り返ると、この人にはもちろん困らせるつもりがなかったが、確かに、オックスフォードという名前だけ言えば、人は何か反応する。極端に言うと、仕事の面接でも感動される場合もあれば、きっと偉そうな人と思われて別者扱いされてしまう場合もあるが、この印象はとにかく以前から抱いていたイメージから生まれる。

 

大学で日本学を勉強することにしたときも同様だった。かなり珍しい(=変な?)専門を選んだということで、きっと数学か言語学にすると思っていた先生を驚かせた上、回りの人にも、「おぅ、面白いことするね!」と言ってもらったことも、「漫画のオタクか」とちょっと笑われたこともあった。(多少、変わってはいるかもしれないが、日本の漫画を今でも1冊も読んだことがない…)やはり、日本に対しても、多くの人になんとなくのイメージがあるし、実際の体験というような根拠がなくても、こういったイメージからやや強い印象を作るというのは避けられない、人間の癖かもしれない。イングランドから離れて以来、私の国のサッカー代表チームについても、このような現象に気付いてきた。

 

フットボールの母国という歴史からか、マンチェスターユナイテッドやリバプールのプレミアリーグとチャンピオンズリーグでの活躍が世界中に中継されていることからか、若しくはその選手がセレブみたいな存在になっていることからか、イングランドと言えばやっぱりサッカー、というイメージが世界中にも強いような気がする。初めて万博でJリーグの試合を見たとき、「サッカーの王国から来たんや!」と喜んでくれたサポーターが何人かいた。2002年の日韓ワールドカップのとき、多くの日本人でもイングランドを応援してくれた映像をイギリスのテレビで見たし、三匹のライオンを身につけてゴッド・セイヴ・ザ・クイーンを(かなり訛ったアクセントで)非常に元気に歌っていた日本人の姿は一生忘れられない。

 

今回のユーロの予選でも、フジテレビの衛星チャンネルでは1節ごとに、数十試合のうち12試合しか放送されなかったのに、アピールがあるおかげでほとんどのイングランドの試合が見られた。結局、ご存じのようにクロアチアとロシアに敗れ、私の国の代表チームが予選で敗退してしまったが、サッカーが詳しい人にも大きな大会ぐらいしか見ない人にも、やっぱりイングランドが出場していないユーロを見てちょっと残念で違和感があると、最近よく言われている。歯に衣を着せずに正直にいうと、このイングランド代表チームはもう長い間低迷しており、見事なプレーを見せてくれたのはもうずいぶん以前になるが、本質を知らず、若しくは本質を問わず、その魅力的なイメージが依然として残っている。

 

しかし、問題となるのは、イングランド人でもそれを信じてしまうことである。2006年のワールドカップの直前、「昨日のテレビによるとイングランドも優勝候補みたいだね」と言ってくれた会社の人に対して、「当たり前やんけ!」と答えてしまった私も、確かに有罪だ。1試合勝っては最強、1試合負けては最低、というように極端に考えることは、イングランドのサポーターやタブロイド紙の馬鹿な癖ではある。しかし、最も気になることは、この数年のイングランドにきっと実力はあったのに、お金や憧れを浴びていた中、選手たち自身も実績を出す前にイメージを信じてしまったのではないか。

 

今年のユーロは久し振りに、イングランドに対する過大な期待もいつものPK戦の失望もなく、冷静に楽しめたので、見事な大会を見ながら少し考え直すこともできた。スペインみたいな実力やオランダみたいなスタイルはできなくても、少なくてもクロアチアやロシアのように良く頑張って、イングランドも私たちがまた誇りに思える、世界にまだ残っているイメージに値するチームになって欲しい。

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